宮澤敏文

おひさま

この四月から、信州安曇野を舞台とした朝の連続テレビドラマ「おひさま」が始まった。

主人公井上さんが演じる「太陽の子」陽子さんの明るさがさわやかである。 身体の弱い母が元気になれと父が空気がきれいで水がおいしい信州安曇野に住みだした。テレビも情報手段もない時代が舞台だ。そんな中で母が病気で亡くなり、父と兄妹がそれぞれを思いやりあいながら成長する。 一番上の兄は医者に、すぐ上の兄は航空隊に夢をはせ、そしてその兄は、自分が特攻することで、家族の平穏が得られる、勝つことが家族の幸せをつくるのだと、ともに学んだ航空隊の仲間を誇りとして、太平洋の藻屑と消えるストーリーだ。短すぎる一期を潔く堂々と。安曇野での家族兄妹の日々のやり取りを宝物として。

このごろ特にNHK朝の連続ドラマは家族愛がテーマになっている。人が二人いれば社会ができる。社会の原点は家族であろう。そしてもちろん日本中で同じ家族はひとつもない。

「おひさま」で紹介される大戦前の安曇野の農民は限りなく貧しい。父親や家族の柱が戦争に行った家は食べることもできないくらい貧しい。当時の日本の里山では、みんながやさしく、集落の絆や人とひととの配慮や支えあいで限界を生き抜いていた。当時の人たちの寿命は短いかもしれない。しかしつらくければつらいほどちょっとしたことと思えることを大切に思い、誇りを持って生き、感謝して笑顔で一期を閉じられてきた気がする。

「豊かさってなんだろうか」

お金があり、ピールで太らせた奇形の牛の肉を食べ、欲しいものは誰かから与えられる。感謝もなく、何かトラブルが生じると誰かの責任に転嫁する。

四月八日義援品をもって伺った福島県の三春町で、原発避難している双葉町に住んでいたのおばあちゃんに「今何を一番したいですか」とお尋ねすると「お天道様の下で、みんなで畑仕事がしたい」と答えられた。

集落の絆はもちろんだが「ともに汗すること」から人とひとの壁が低くなって、喜びや悲しみの感じあう心を共有できる様になるのだと信じ続けてきた。

「豊かさ」とは、人と信じあえること、些細なことでも、強く感謝して感ずることができることなのではないだろうかと思う。

     「思いあい 支える絆 笑みのなか」  星辰

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