宮澤敏文

ふるさとの気合わせ創り

「都会の子供たちにふるさとを」と小中学校生が親元を離れ、大自然の中、地域の子供たちと一緒の学校に学び生活する「山村留学」が全国に先駆けて始まった長野県北安曇郡八坂村が大町市と合併して7年が過ぎた。

首都圏を中心にやってくる山村留学生は、地元八坂育ちの子供と50%くらいの割合で、毎日片道5km以上の山道を歩いて木をふんだんに使った学校へ通っていた。

春夏秋冬に彩りを変える自然の中で、さみしいのだろうか肩をうなだれて一人で歩く子、話しながら友と笑いながら一緒の子、そんな子供たちの姿に目を細め、がんばれとつぶやいたものである。

春夏秋はいいのだが、雪の冬は大変である。この村では雪の日には、朝早いうちに集落の大人たちが一緒になって子供たちが歩く県道までの道の雪かきを手作業でする伝統がある。子供たちは地域の宝物。みんなで育てる心が生き続けている。

八坂村の小中学生は、年に一度、全員で通学するガードレールのぞうきん掛けをする。「感謝のぞうきん掛け」は、交通安全を願ってだろうかもう何十年も続いている。

幼くしてご尊父と死別し一家を支え、昭和23年役場に勤務以来365日平成17年の合併まで全身全霊で村を守り導いてきた大日方一繁最後の八坂村村長が亡くなられた。

別れの朝は、久しぶりの30cmを越える雪が積もり森羅万象の八坂の里は静かに熱い情熱を見送られた。

「人が来寄ることから村づくりは始まる」何もない山村が生きる道は「人が元気なことと工夫する心がなければならない」とよく共に汗したものだ。

雨の日に消防訓練をして道を広げたり、村の来寄りと誇りのためと地域の食文化伝承や特産物である蕎麦に付加価値を付けて販売し農家の収入を増やすためにとあらゆる補助金を総動員して、わずかな村負担で、明日香荘を建設した。若い時は現場に泊り、皿洗い、接客業や営業に全国を飛び回ったとよく話されていた。

将に情熱と工夫の人であった。合掌

    「人育て、汗する麓に 虹かかる」星辰

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