宮澤敏文

アスパラハウスの雪下ろし

何十年ぶりだろうか。1m近い雪が庭に積もったのは。それぞれ新たな進路を進みだした22歳の子らと久しぶりに雪かきと雪下ろしに精を出した。

厳冬の信州とはいえ雪囲いなど縁がない安曇野。この朝病院勤めの二男は6時から病院の雪かきにと意気込むが前の道は除雪前で歩いて登院。家内の声が響き渡り、その騒ぎに家族は朝から雪かきに精を出した。末の二人の22歳の若武者はさすがに元気がいい。あっという間に200mの道が開き、朝ごはんの大盛り飯を平らげる。これで一日が終わったとのんびりしようとする2人を連れ出して40mのアスパラハウス雪下ろしに連れ出した。

雪下ろしはいつも大変である。この過酷さには私も今日も何度も天を仰いだ。元気な二人は南側40mを私は一人北側40mの雪をおろし処理していったのだか、私が半分までいかないうちに彼らはやり遂げ北側の雪処理に入ってきた。素直に元気に誠実に成長してくれたなあと思いながら、うれしく時間を楽しんだ。

雨であれば何のこともない「雪下ろし仕事」過疎に悩む町村の最大の互助仕事は雪下ろしだ。小谷村の大網地域で大雪が降り、地方事務所の皆さんと出かけたことを思い出す。

「俺が70歳を超えたが今も大網の若手頭だ」と話す原小谷村元副議長、平成7年゜7.11災害の村消防団長で、この村の凛された消防纏会の一人だが、雪下ろしだけはつらいといわれる。

小谷白馬そして大町市の事業者の道路雪かき術は芸術家の域である「すごい」。またこの地の建設事業者は雪を固めて土台としその上に重機を乗せ作業するつわものぞろいで、地域を守る住民を守るハートには圧倒される。

雪されど雪、雪にかかわる多くのドラマが生まれてきた。オリンピックの感動涙もそうであるが、生活面での雪と人の共生は先人たちの知恵と工夫が凝縮されている。

いつもであるが都会では不幸な交通事故が多発している。スコットホルム市やモスクワ市に冬伺うと雪の夜は楽しく、決して大雪でも交通渋滞などあまり聞かなかった。

海外から雪と遊ぶために長野県にやってくる人たちは決してスキーやスノーボードの名手ばかりでなく、ただ仲間や家族で雪をかけ合って歓声を上げ、日本の雪を楽しんている。それぞれである

「雪かきの、腰の痛さに 親思う」  星辰

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