宮澤敏文

キムチと味噌

朝 発酵した物を食べると体が喜ぶと聞いた。そういえば日本人は味噌を食し、欧米人は、チーズを、お隣の韓国では、キムチを毎日必ずといっていいほど食卓に並べる。

我が家では、一昔前は、隣近所、親戚が集まり、味噌を炊き、味噌玉を作り、それを藁でつるし、数十日たってからカビを洗い味噌樽に寝かせこんだものだった。それがやまってしまってからは、年寄りは、市販の味噌を樽に入れ、焼酎を混ぜ、一年近く保管して、二年味噌を作っていた。

「白馬山麓におこしください」と韓国にインバウンド運動で、白馬商工会の山田副会長と伺ったとき、彼の縁で、一般家庭のすっぱい極上のキムチをいただいた。すっぱいがおいしく、ひと皿たいらげてしまったことを思い出す。各家庭では何年も冬を越したものを貴重にし、今でもそうしている。体にいいキムチがその家の自慢だと聞いた。晩秋には、韓国ではキムチ漬けが、笑顔の中で各家庭で行われる。ちょうど長野県の野沢菜漬けに似ている。

長野県では、唯一コンビニストアがなかったのが木曾谷であった。しかし権平峠地域高規格道路の開通で、伊那地域からの弁当のデリバリーが可能になってから、何件も増えた。木曾の村上氏によると、子供の血糖値など健康値が著しく悪化したそうである。

木曾の家庭にはスンキ漬けがあり、各家庭でつくられ、住民の健康の元だと聞いていた。

食材に時間をかけ、手間をかけ、春夏秋冬の激しい自然の営みの中で、工夫し、創り上げてきた食文化。自然とともにある食生活忘れてはならないことである。

食育の元である。

   「すっぱさの 奥に家庭の 願いあり」 星辰

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