宮澤敏文

チューリップは魂で植える

春霞がやさしく被い、水平線がぼやける日本海側から見つめる北アルプスの連邦がなだらかな稜線を浮かび上がらせる日本有数の米どころ富山平野の春。皐月の薫風とともに水田が最もいきいきとする田植えのシーズンがやってくる。

稲作農家の一年が始まる。雪解けを待って、田に出て、畦を塗り、水を引き、田を起こし、しろうという一年間稲穂が巣立つ稲床を造る、また昨年秋蓄えた貴重なモミを風呂に入れ、発芽させ、苗床がら田んぼに植えるのである。日本の多くの地域文化は米とともに歩んできた。とりわけ米の単作地帯は水田を守り、代々その慣習を受け継ぎ、貧しさの中で家族が寄り添って生きてきた歴史である。考え方も保守的で、新しいものを受け入れる精神に乏しい。貧しい小作農家の冬は土方というきつい凍てつく雪の中での土木事業に男も女も わずか20銭の日雇い作業に汗を流してきた。

「何とか水田の裏作で収入が得られないだろうか」土方にも出られない体の弱い21歳の家族が多い小作農の長男砺波の水野豊造が登場するのである。豊造は貧乏の中で本を頼りに試行錯誤を繰り返し、庄川の扇状地の利点に着目し、チューリップの栽培を確立するのである。昭和27年には研究者の誇りである独自品種まで開発したのである。やっかみから荒らされたチューリップ畑から当時では例を見ない球根取りを発想。日50銭の収入を可能にし、農家の団結を大切に産地を形成し、地域振興を成し遂げたのである。豊造氏はまさにチューリップとの三味鏡の成果であった。

私の36歳のときご縁があって信州安曇野スイス村事業に関わらせていただいた。そのとき、3反の水田に、3万本のチューリップをみんなで植え、注目されたことがある。北アルプス山麓安曇野に揺れるチューリップのすがすがしかったこと。北アルプスを両側から見つめることに、苦笑しながら、砺波のチューリップ畑を渡る薫風に満足し、目を閉じながら、先人水野豊造さんの魂を感じている。

「薫風にゆったり揺れる砺波の夢」 星辰

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