宮澤敏文

ベトナムの12月

「企業の誘致だけではなく、日本国とベトナム国の地方と地方の連携、大学と大学の連携協働、人と人との交流育成を考えて行こうではありませんか」と提案するとホーチミン市商工会議所副会頭は「是非ともお願いしたい。窓口は私がなります。長野県は精密産業が魅力的ですし、何より日本一の健康長寿で食と農業を大切にされています。千曲川源流の里長野県川上村ではレタス農場をベトナムで過日スタートさせていただいた。そこを起点に人材育成が始まっていると聞いている。ベトナムは日本人を頼りにしています」そういいながら笑顔を輝かせた。

話は弾み2時間が過ぎ、今後の強い連携を誓い合った後に「TPPの大筋合意をどうとらえられるのですか」と伺うと「経済再編成の機会だと思います。べナム経済の角張った部分が剃り落される気がします。その中に国営企業が生き残れるかも入っています」社会主義国で国営企業の存在を発言していいのだろうかと心配する答弁が返ってきた。

TPPの影響はしっかりとはつかめないでいるものの経済人は、国際経済の中での役割が発生し相当な変化がやって来ると思っている。守ると云うのではなく再生するという考え方なのだと 『この時期、ベトナム国は根本から変わらなければという思いが流れておられるのだ』と少し驚きながら強く握手をした。 

会談後お願いして日本とベトナムの交流を見つめている通訳者と生産額世界1位のベトナムコーヒーを味わいながら懇談した。「3.11大地震で大きな被害を受けられたようですが、宮城県や茨城県では、将来の可能性のために、64ある市県との姉妹契約を結ぼうとしていますよ。北海道も先日代表が来られました。昨年あたりから新たな日本とベトナムの交流がスタートした気がします』と話す。

昨日までのハノイで政府関係者との会談では感じられなかった、生きた空気の流れを肌で感ずる。 

昨日の『ぶんちゃ』に続き、伝統料理の米の麺『ホウ』をフランスの観光客の隣で味わい、住友商事の現地法人支社長を訪ねた。

「この国は日本人にはフットする国だと思います。長い交流に耐えうる国です」労働力や資源など様々なことを話された後、「気になるのは、豊穣なメコン川の肥えた土で、コメの輸出高世界2位などの農業が営まれてきたが、上流の中国で水力発電用のダムが数できたためデルタ地帯の農地が痩せる一方で、大量に化学肥料が使われ出している。土壌が汚染されるとなかなかきれいにならないので心配だ」と話す。夜行の飛行機で早朝日本につ着き、用件を済ませ、その日のうちに帰ってくるビジネスマンの頑張りに感心しながら、北アルプス山麓の日本酒と長野県の産物をプレゼントして別れた。

隣接する大国中国との摩擦は大きい。海の領有権はじめ、中国感情が悪いのに驚かされ、その分日本に期待する姿勢を確認する機会となった。

ホーチミン市とハノイ市は北海道と鹿児島のように遠い。12月ハノイではジャンバー姿が定番であるがホーチミン市はシャツ姿である。乾期と雨季に分かれる南部と四季に近い北部、政府が置かれるためか規律感を感じるハノイ市に対し、開放的なホーチミン市、フランスの植民地で洗練された文化が融合している。

15年前に伺ったベトナム国はもっと貧しく戦争の傷跡が観光の目玉だった。今回強く感じたことは「世界の中で生きている国」となってきていることだ。女性はよりきれいになり、都市部は確実に所得が上がっている。平均年齢29歳ちょうど日本の東京オリンピックが開催された1964年とほぼ同水準である。人口も1億人に近づき、現在国民平均年齢が47歳の日本の歩んだ道を数十年あとから歩んでいる気がしてならない。

同じ水田を中心とした農耕民族であり、働き手は勤勉である。道路が横断できないほど激しく大量に行き来するバイクに子供3人の家族5人が乗って走る姿に目を細めながらベトナムの夜行飛行機0時30分発中部国際空港便に乗った。

 「限りなく 前向く国に 光させ」       星辰

“ベトナムの12月” への1件のコメント

  1. 齊藤 拓 より:

    長野とベトナムが力を合わせれば素晴らしい展開が期待できそうですね。学生時代から世界を見ていらっしゃる宮澤先輩の面目躍如たるご活躍に胸躍ります。
    新サイトになってブログも読みやすくなりましたね。また拝読させていただきます。
    お元気で。

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