夕張の真実
2007年の暮れだったろうか。箱物優先の放漫経営で、行政破綻した例として、著名なニュースキャスターが、夕張市の市立病院をはじめ雪の中で、閑古鳥が鳴く観光施設を行政の失敗例として全国に報道した。「現場に真実あり」と常に調査し、生きた声を聞くために現地に出かけてきたが、2008年の暮れ夕張市民の皆さんは、どう生き抜かれておられるのだろうかと師走半ばに伺った。
札幌市を8:00に車で出て、約一時間ほど雪の夕張市に着いた。合併をし大きな面積を持つ市で、市の奥手にある市立病院にまず向かうが、道路には人がおらず、人が住まれているとは思えない生活のにおいがしないアパートだけがやけに目に飛び込んできた。車窓の風景を食い入るように見つめていたが、商店もあまり無く、古い映画の大きな看板だけが飛び込んでくる。「寂しい町」だ。
立派な市役所を外観から見て、市立医療センターにむかう。受付に進むと事務長が待っていてくださった。指定管理団体が経営を任されているとのこと。事務長も東京から単身で長期出張し業務についているとの話。70才を越えた人も雇い、診療所へとレベルを下げ、19床の入院患者と28名(定員40名)収容の老人保健施設を併合し経営している。市立病院時代とは異なり、手術など無い慢性期から看取り病院になっている。看護婦や事務員は、病院時代の50%の賃金でがんばっているなど改革の姿を整然と述べられた。「医師不足では」とお聞きすると3名おられ、院長以下意気に燃えて患者と向き合っているとの説明だった。
「ところで院長の年収は」とお聞きするとなんと2300万円とのこと。市政が破綻し、復興に汗し、国や道から支援を受ける夕張市財政状況からすれば、予想をはるかに超える額。ちなみに長野県の厚生連病院の院長は手術業務もこなし1500万円程度である。老健の28名の入居者の介護度は2.8長野県では考えられないなど低い。まだまだ。
昭和35年、夕張市の人口は、11万6908人で石炭の町豊かな市だった。市民は企業が設備した炭鉱住宅に住み、町に人が溢れていた。時代の波で、減産そして閉山と夕張市は、市運営の危機にさらされた。
炭鉱住宅から住まいをなくした住民のために公営住宅を多く建て住居を確保し、働く場や住民サービスのために観光業に狙いを定め観光施設を造って行った。当時の市長や市議会の焦りやジレンマが聞こえてくるようだ。
「なんとしても町を守りたい」一念であったろう。人口2万人を大きく割っても、10万人都市の規模を急に縮小できないため市政の歳出を切り詰め、市職員の給与や住民のサービスの低下にならないよう歳入を如何に増やすか。新規ゲンには帰れなかった。
産業が乏しく、法人税が無い全国の弱小市町村の悩みをたまたま廃鉱という事態で急に遭遇した夕張市。いいときが華やかだっただけに下りが早くきつかったのだろう。来る時に見た古い看板ポスターは「映画の町夕張」を造ろうとした苦心の作か。
昼食に夕張市内の札幌市の企業が経営するスキー場でゴマペースの真っ黒い炭鉱ラーメンをいただいた。振り向くと九州福岡からスキー修学旅行に来た高校生の元気な声が響いていた。
二階の売店に入る、このホテルのシェフが今朝焼いたというオリジナルメロンパンがおいしそうだった。そうそう夕張市はメロンの大産地まさに夕張ブランドがある。北海道を代表する農村物がある。この地の農民たちは、土と誠実に向かいあったからあれだけのメロンができ、ブランドに仕上げられたのだ。1万2000人に合った行政をひけばいいのだ。
「がんばれ夕張の皆さん」とメロンパンを3個買った。
「水が引き 乾いた大地を 守り抜く 耕す笑顔に メロンパン」 星辰
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