宮澤敏文

志を果たしていつの日にか

 「志を果たしていつの日にか帰らんで始まる唱歌ふるさとの3番を口にするたび熱いものがこみ上げてくる。今日までがんばってこれたのは、このふるさとがあったからです」今年80歳になられ、いまも現役で凛とした北条さんは静かに語られた。

 戦前、蚕糸業が盛んだった長野県北アルプス展望の里池田町広津に生まれ、若くして上京、持ち前の誠実さで、苦労の果てに資生堂など日本を代表する企業と取引をされる印刷会社を創業され、いまは「人が病にならないで、健康で健やかに」カミツレと向き合っておられる。

 4月11日、ガン治療とパーブの効能を研究する会が北条さんのふるさと広津地区の八寿恵荘で開催された。いつもであるが、北条さんは、一期一会で人と接せられ、相手の隅々まで心配りされる。亡きご母堂様のお名前をつけたという生家のあった場所に建てられた八寿恵荘には、40歳のとき母校の広津小学校へ贈られた緞帳が、過疎化で廃校になったとき自分の思いが捨てられるのが忍びなくて、自分で寄付したのに、再度買い戻され、クリーニングされて飾ってあった。そして周辺にはジャーマンカモミールを植えられた。

 わざわざ千葉県からおこしになられたハーブの専門の方もおられ、3時間を超えるの長い会議であったが、会社の専務を勤められる奥様が、比翼連理のごとく、会議をリードされ、まさにご主人とおふたり、限りなく「一」になられている姿が拝見できた。

 私もこんな老後を過ごしたいものだ。

  『冬を耐え 緑鮮やか 比翼のそら』 星辰

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