宮澤敏文

思いの継承

今年も北アルプス山麓に雪が来た。

60歳から始めた朝の散歩。師として仰ぐ堀内巳次翁をマネして始めたことだが、壮麗に広がる峰々と朝焼けを楽しみながら安曇野のあぜ道を踏み出すと何ともすがすがしく気持ちがいい。

第2次大戦を戦地を迎えられ、生きることの尊さを心に、凛として百寿を生きられた師は「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」を心に刻まれ、戦後の貧しい農村の生活の中で、幼き日より、穏やかな暮らしや豊穣を祈る節ごとの行事への参画すること、鎮守の森から始まる生きた日常の自然を学び舎とする体験の中から堂々として生き抜くために、「地域の支え合いの絆が何より大切という基本を習得する。これが農耕民族としての日本人の失ってはならない誇りだと思う」と機会あるごとに述べられていた。

国は歴史にない少子時代に対応するために、AIやIOTの進展でロボット等で人手不足を解消するだけでなく、人口拡大を続く外国人の就労制度に大きく門戸を開いた。

異なった環境で育った人たちが、日本の地域に溶け合ってコミニティを構成するようになる。当然多くの問題が生じるであろう。しかしそれを乗り越えなくては、日本の将来はない。

言葉が通じない社会に出かけたときの不安や不便を経験すると、言葉の大切さを痛感するが、「外国人はすべて英語を話す」と思っている人がほとんどの里山で暮らすのである。働くためにやって来る外国人も不安いっぱいでやって来る。

どう溶け合えばいいのか。私は、日本の地方には、「ゆったりとしたおおらかさ」がある。このことが何より大切ではないかと思う。

春桜が咲き、夏蝉が唄い、秋紅葉に染まり、冬雪の中で力を蓄える里山。趣を持って映ろう日本の四季の中で、人と喜び涙し、支え合う里山の力はおとづれる外国人に多くの物語を創るはずだ。

当然、言葉や日本文化を学ぶ学び舎も必要だ。その学び舎では「霜が降り、氷が張らなければ、里に雪は来ない」 そんな日本の真理も、しっかりと共有してもらわなければならない。

私たちが外国で暮らす時「郷に入りては郷に従え」を自分に言い聞かせるが支え合いのもとには、他人を尊重する心がなくてはならない。 将に、異なった人生の物語を持った人が一緒に生きるとき、「支え合う心を何より大切である」とつくづく思う。

「生きるとは 可能性の追求なり 濃りんどう」の詩を残された師を思い、静かに北アルプスの峰々に合掌した。

            「壮麗に 連なる峰に 明日を祈る」 星辰

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