毘沙門天の法要
過去に無い参拝者でにぎわう長野市の善光寺本堂の東地区にもうひとつの御開帳として横たわる仏さまが祭られ、七年に一度同じく回向柱を立てて祭られ、参拝者でにぎわっている。毘沙門天仏である。福を呼び人々を守られる仏様として平素合掌してきた。
平安時代9世紀から北安曇郡旧広津村に1千年を越す木製の県宝の毘沙門天仏がりりしいお顔で地域を守っておられる。お顔もお姿も大好きでよくお参りするが、千メートルを超える高地に安置されていることから、わたしは「天空(ラピタ)の毘沙門天」と敬ってきた。
この広津地区は昭和18年1933年には養蚕業が盛んで6000名を超える人口を誇っていたが昨年2008年はなんと121名にまで減少してしまった。
『何とかしなくては』と地域の70歳を越えられた若手の皆さんが、今年の正月に訪ねてこられた。コーヒーをすすりながら、歴史を語られる説明の中に、「今を住む人たちがすべて昔人の子孫が住み続けていたのではなく、村を構成する住民の血も一定のサイクルで変わってきた。今もその変わり目なのかもしれない」という説明には驚かされたが、深くうなづくものがあった。
「平安時代からたぶん初めてであろうが、ことし一年をかけて、この広津地域の明日の可能性を各方面から探り、関係者の英知を搾り出して、何らかの光明を探し出そう」という結論に行き着いた。
早速5月1日に集落会の役員や役場職員と協議し、6月1日に検討委員会を立ち上げ、各方面から現場に強い委員を選考し実施計画を創る事に決めた。
八重桜が薫風に乗り舞散り、八十八夜の法要はいつも平均年齢75歳以上の方々が山菜の手料理やおやきをもって集まり、元気に現状を打破する話を魚に桜の下で酌み交わされる。不平を述べる前に実行し、失敗し、なにくそという努力を重ねてきた経験から明日を創る目で、有史以来だろう変革期の今を危ぶんでいる。毘沙門天の里の人たちは静かに熱い。
「盛衰を 見守るラピタの 毘沙門天 桜のふんばり 導きたまえ」 星辰
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