宮澤敏文

畔のふきのとう

元旦から始めた30分ばかりの早朝の散策がやっと習慣になってきた。

出張先では、自然がきれいで名勝地が近くにある宿に宿泊するよう心がけている。いろいろな歴史のドラマの息遣いを感じての速足の散策心地よく、早起きが楽しみとなっている。

毎日のコースの中で、決まって北アルプスの連峰を見渡せる場所に立って、北の白馬三山、壮麗な蓮華岳、そして安曇野のシンボル有明山に手を合わせる。毎日変化する雄大な山麓の空気の重なりにここに住む仕合わせをかみしめる。

春いちばん先に黄緑色の元気を知らせてくれるのがふきのとうである。幼き頃ポケットいっぱいのふきのとうを持ち帰ると亡き祖母に喜ばれたことがうれしかった。そんな笑顔を思い出しながら土手に立つが、ふきのとうが見つからない。

少し前、日本のふるさとの原風景の中で生きた人たちは、同じ畔草かりするのにも、残すものと根まで絶やすものを区別して管理していた。今は機械化機械化で一見整った景観ではあるが、同じ景色もそこにあるものが変わっている。

食育と向かい合って久しいが、野菜の栄養分が大きく変化しているのに驚かされたことがある。たとえば、昔の家畜の糞や人糞などで栽培された人参とスーパーで今売られている立派な型の人参と比べると立派なスーパーのものがビタミンも他の栄養素も驚くほど低かった。

何か似ていると苦笑する。しかし朝の毎日抱かれるこの景観はすべてを越え、自分をよみがえらせてくれる。

  「壮麗に 重なる空に 陽がとける」 星辰

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