宮澤敏文

白馬高校の挑戦

募集した生徒が高校全校で240人を切ると廃校へのプロセスをたどる方針が国で決められた。都道府県ごとに違うが人口減少や通学距離などから山形県では120名、長野県では平成19年に160名と決めた。それによってすでに上水内郡の中条高校、犀峡高校が他校のキャンパス校となり、伝統を誇る両校とも廃校となった。

淋しい限りで両村とも村を挙げて存続を願われた。両校の最後の卒業式に出席させていただいたがこれから多くの学校がこうなることだろう。廃校基準の見直しや高校が地域に与える影響を考え、過疎化の地域の高校は、普通科と専門科の複合した学校が必要だとつくづく思ったものだ。

国は人口減少と過疎化が著しいため、平成23年から都道府県に廃校基準を任せ独自の方針による高校設置する緩和処置を発表した。

本日長野県教育委員会は、3番目に160名を切った白馬高校が、全国募集15名から20名を一つの条件に、普通科1クラス、新たに専門科である国際観光学科を全国募集にし、28年度から設置して2クラス募集を決定した。

思い起こせば6年も前だったろうか。当時の白馬高校の校長が、44名しか入学者がおらず、「何とかしなければ大変なこととなる」と当時の太田村長と私のところの直訴してきて以来、魅力づくり検討委員会を立ち上げ精力的に白馬高校の将来を考えてきた。予想通り、一昨年2年連続160名を切ってしまった。

白馬山麓の誇り高い人たちは、ソチのオリンピック選手を6名も育て上げ、スキーのメッカである白馬高校が定員割れを起こし、廃校基準になるとは思いもしておられなかった。 しかし現実となってしまった。

「国際観光学科」ここに行きつくまでは多くの人達からご協力いただいた。この構想の立案者のひとりとしては、感謝以外に何もない。

とりわけ村長と私の心の支援者は御嬢さんを白馬高校へ通わせてあられたシュラリゾートホテルの富原氏であった。体調を崩されだいぶお痩せになられた最悪の状況で命を削っていただいた。「白馬地域の人たちの暖かさ、私たち よそから白馬に来たものを包み込んでくれた。大好きな白馬に恩返しがしたい」これが富原さんとわたしの共通の思いであったが、本日心から深く頭べを垂れる。

これから始まる、ずっと続く長い坂道が。 あくまでも全国から15名から20名集めることが大前提である。そうでなくては他の高校に影響が出てしまう。子供たちが急激に減少する時ルール違反は許されない。

将に真剣勝負が始まった。

   「いきいきと 汗する夢 峰に響く」 星辰

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