宮澤敏文

美術館の30年

中央道で八ヶ岳の裾野の広さを楽しみながら、山梨に入ると秋晴れのさわやかさの中に壮麗で雄大な富士山がくっきりと浮かび上がる。吸い込まれるようだ。横山大観画伯は「秋の富士」で松と七かまどの向こうに薄の秋の富士を絵き、「冬の富士」で厳しい自然の中で人を寄せつけない厳冬の富士を描かれているが、この晩秋信濃境からの秋の富士は見事である。

賛否両論がある中、勇断を振るって建設してから30年の歴史を刻む山梨県立美術館を訪問する。美術館の周辺は公園となり、30年の積み重ねの技であろうか穏やかの晩秋の陽だまりで多くの元気な子供たちが親に見守られながら落ち葉を追いかけ遊んでいる。

この美術館はミレーやコローなどフランスの農村画家の作品を集め、自然と人の共生をコンセプトにこの美術館が創られたと聞いたことがある。30年間、厳しい財政の中で地元出身の画家を育て、また来訪者に一流の芸術品と対話する機会づくりを推進せれてこられた館関係者の奮闘に敬意を表したい。

久しぶりにフランスの自然派の巨匠の生の感覚を楽しませていただいた。いつもそうであるがジャン=フランツソワ・ミレーの「種をまく人」も「夕暮れの羊飼い」「鶏に餌をやる女」も絵の前に立ち手前から遠くまで見入っていると不思議と絵自体が明るくなり、まさにパリ郊外の農村にたたづんでいる錯覚すら覚える。

私の町にも町立美術館がある。北アルプスの連峰が一望できるすばらしい眺望の美術館である。建設のきっかけは地域ゆかりの画伯から作品をいただいたことから始まったらしいが、江戸時代貧しい農村が将来輝くためには、まずは「子の教育だ」と当時では稀な民間の学問所を建設、その精神である「育くむ心」があったはずだ思い委員の全員の賛同をいただき、昨年、町が設置した審議会の座長をした機会に正式に「育てる心」をコンセプトとした。いまも町民が小さくてもいい元気な指導者になり、町民が手作り芸術を創作し発表する場となればと願っている。

継続することこのことは難しい。時代の荒波の中で、芸術関係施設の維持は大変であるが聖域ではない。 

自分と対話する機会は芸術の中にある気がしてならない。久しぶりに巨匠の息遣いを感じ、展示品の充実させる道を選び汗している生きている公立美術館の意気込みに満ち足りた思いで信濃路に入った。

 「晩秋の 民の暮らしは 小さけど 見つめる魂 宇宙をかける」 星辰

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