宮澤敏文

里山の跡取り

地域の保健婦さんとして軽自動車を運転し、雪の日も雨の日も狭い山道を駆けづり廻った奥さんがうれしそうに、一枚の大きな表彰状を開かれた。

旭日単光章。がんと戦ってこの春旅立たれたご主人の名前が書かれていた。

北安曇郡池田町広津。平安時代から栄え、県宝の仏像がいくつもみつかる第二次大戦前後は3300名を越える北安曇でも中核的な村だった。今は住民わずか120名、戦後の大きなうねりの中で急速にしぼんでいってしまった里山である。

目を病んで片目になっても前を向き、炭焼きや過去に栄えた養蚕の心を活かすと桑の商品開発に励み、この地の伝統を守り、地域に生きることの先頭に立ってきた人だった。

町議4期を勤め終え、訪問された初春の席で、わたしの手を握り「昔は四人もいたのに一人の町会議員も出せない地域になってしまった。わたしなりに一生懸命地域づくりに励んで来たつもりだったが、時流の風には勝てなかった。後は宮澤さん頼む」ユーモアたっぷりのあの声が今でも耳に残っている。

奥座敷から谷を見渡すとさわやかな沢風をがほほに心地よい。最後までこの家を離れようとしなかった。末のお嬢さんがおいしい漬物とお茶を用意してくださった。

お嬢さんは県境の小谷村で栄養士さんとして勤めてい時、ある雪の日、同乗の看護婦さんと年老いた一人暮らしのお宅を巡回訪問しているときに、交通事故にあって危うく命を拾われた。そして今は地元池田町の子供たちの栄養士として、お母さんの心を継いでいる。

「33才になっちゃった」と微笑む笑顔にお父さん譲りですがすがしい。

亡き先達が、自ら重機を巧みに操って車道に広げた山道を通って、1300年前の創作された「県宝毘沙門天の法要」におじゃました。

昨年は満開で散る花びらを楽しんだのに今年の桜はつぼみが固い。しめやかに行われた法要の輪の中に昨年までのまとめ役の人一倍の元気な笑顔がいない。この先人の一期は広津の住民の生活を守る日々であった。まさに現代のこの地域の毘沙門天様であった気がしてならない。

「里山(さと)守る 故人のおもかげ 毘沙門天」  星辰

「山里の 桜を散らす 過疎の風 来年の春は  薫風と吹け」 星辰

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です