里親制度と山村留学
人情み豊かな東京月島の里親一家の泣き笑いを描いた朝の連続ドラマを涙しながら楽しんでいる。親子の絆、子どもの成長を見つめる周りの思い、20才の主人公の一生懸命を通して構成されている。 さわやかであるが、重い課題と向き合っている。
五月の終わり、雪解けの遅い北アルプス山麓白馬村・小谷村のなだれ等の被害箇所の調査に奥山の集落に入った。俳優の永島さんがはぜ掛け米に汗していただいている中谷谷に入る。緑が美しく、昨年と何ひつと変わっていない。窓を開け薫風にあたりながらゆったりした気持ちで車の揺れを楽しんでいると突然130年以上の歴史を誇った中土小学校が昨年閉鎖し、この4月に校舎が壊され真新しい土で整地された光景が飛び込んできた。この学校には多くのドラマがあったろうが、一昨年130年の歴史を閉める儀式のとき、山村留学の子供たちが涙を拭きながら掛け合いの言葉と合唱した光景が浮かんできた。
この小学校は旧中土村の中心施設で何校も分校を持つ一学年6クラスの大きな小学校であった。過疎化が始まり、2300名もいた人口が減り、昨今は400名を切るようになり、学校維持のために住民は工夫し全国から山村留学を受け入れた。全校生徒の50%以上の山村留学児童が地域の中で育ち、地元の子供と都会からやってきた子供が仲良くけんかしながら学んでいた。
全校生が50人ほどの小さな小学校になったが、谷には子供たちの声が響き、平均年齢が50歳を越えた住民たちに笑顔と元気を与えていた。わたしは子供たちが飛び回り、遊ぶ姿がこんなに地域の活力や元気を生むのかこの谷で教えられた。平成7年の災害以来泥だらけになって現場を歩いた後、夜を徹して語り合い、、朝は早くに道路に出て、2キロ近い寮から元気に走ってくる子供たちと大きな声で挨拶するのが楽しみでよく谷に泊まったものである。自然と名前と顔が一致する子も何人かできた。
母子家庭の子もいて、どことなく寂しげな彼らを見つめることがうれしかった。とりわけ最後のお別れのとき、涙を消して拭かずに顔をしかめながら合唱しているあのシャイなしぐさをわたしは涙をためて見つめていた。
今あの子達はどう生きているのだろうか。元気にすこやにいるだろうか。
車窓に目を向けながら、学用品が入ったリックを右に左に振りなががら、道路わきを走ったり、道草したりして共同宿舎に帰っていったあの子達の背中を思い浮かべていた。
「健やかにと 育つ子らに ふるさとあり」 星辰
コメントを残す