宮澤敏文

長崎の風

海を見下ろす高台の猫の額ほどの傾斜地に、家がぎっしり建てられ、「誰もが笑顔で暮らせる国」を創るために熱く燃え、中には志半ばでイサキよく散った先達たちが静かに眠っている。

日本一の島々を抱え、人が住まなくなった島々の元気づくり策を執っているのか、日本一の荒廃地率の高い長崎県に伺った。

長崎県庁での研修を終え、翌朝わくわくしながら、まだ明けない長崎の町に出た。

昨夜の雨が街を洗い、なんともすがすがしい朝である。出島周辺の海岸端は何度もおとづれたが、長崎に文化の夜明けを学びに来た先達たちが住んだという山際の唐寺周辺を深呼吸しながら歩いた。

 とりわけ、地方の名もなき者たちが、ともに国を思い、世界を意識しながら、新しい政治に、交易にと夢をはせ、果敢に挑んだ海援隊士の熱き志を感じたいと思ったからだ。

その者たちの中に、尊敬する綺羅星。時代の中で、流れる空気に惑わされず、空気の流れの源を見つめ、広く世界に視野を求め、出合った人に学び、それを飲み込み消化し、組み立て、ダイナミックな近代日本の道しるべを示された坂本竜馬侯の息遣いを同じ空間の中で感じ取りたかった。

学問を学んだ聖堂の門を移築した唐寺から細く急な坂道を登り、両側の墓石名に目を走らせながら、息を整えて金山社中の坂に立つ。 目を閉じ、けして広いとは思わない社中跡に二十代の若い隊士たちの元気な声を聞こうとする。

じっとたたずみながら遠く海を見つめていると近くの高校へ通う生徒だろうか息を荒げて坂を上ってくる。「おはよう」と声をかけると真っ白なシャツからすがすがしい「おはようございます」がかえって来た。

何か満ち足りた思いで、回り道をしてめがね橋へ出る。

ふと寄った寺で、第一回長崎県議会開会場と書かれた案内板に目が留まる。またその隣に日本の文化の夜明けを創った先達の一人福沢諭吉侯がー大決意をしての長崎へやって着た時、その名もなき若者を受け入れた寺だと記してあった。

人は新しい出会いの中で大きく育つのだ。異なった文化が混ざり合うところに新しい風が生まれるのである。まさに当時の長崎の街は、そんな熱いパワフルな風が吹いていた。

人が位で人でなくなる江戸時代の終焉と人が平等の時代への新しい世の出発の場所だったに違いない。

「望まなくても、望まれるときは立つべし」と寺の前に書かれた文字を注意深く読む。

「日本人のあり方」を研究した諭吉侯の飛躍の一歩そして価値観を蓄え、新しい道を築く一歩となった長崎への学びの決意を静かに思りながらめがね橋を渡る。

「長崎の かどが丸き石畳 熱き夢に 続けと鳴くか 秋虫の音 」

「やむことなく 鳴き続ける 虫の声 唐寺の風は 重なりささやく」

                                     星辰

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です