宮澤敏文

14才の夢

19時18分吉林省通化駅から中国スキージャンプのオリンピック選手や長野県で今夏3ヶ月のジャンプ合宿で始めてスキーと出会い瞳を輝かす13歳から16歳の少女たち透きとおる瞳に見送られ、静かに夜行電車が動き出した。

今夏世界に躍進する中国をアピールし見事なまだに創り上げた北京オリンピックの成功の後、つぎに中国が目指している冬季オリンピックの開催。そのためには施設整備や選手育成などさまざまな準備が必要であるが、とりわけスキーの花形種目であるジャンプ競技の選手育成には力が入るところである。

その中心となっているのが、朴コーチ率いる通化市体育運動学校である。彼の指導は厳しいが確実に選手を育成されて成果を挙げているのには感服する。スキーをまったく知らない13歳から16歳の運動神経にたけ、ハングリー精神のありそうな少女の中から数人を選択し、今夏初めて日本国長野県の白馬にやってきた。

わずか70日程度の合宿練習で、白馬70mのジャンプ台を難なくこなせる選手にと育て上げてしまったのだ。 選手たちにとっては 辛い毎日であったろうが、朴コーチと彼の母親である張コーチの二人三脚の指導の下で、感受性豊かな少女たちに自信と夢をプレゼントしたのだ。まさに二人は錬金術師であると思う。

朴コーチは、14才のとき、スキーのジャンプ選手になりたくて単身白馬村にやってきた。受けいたのが小谷村で学校教員をしていた亡き大塚雪峰氏夫婦と善弘親子である。滞在費用があるわけでなく、厳しい練習や異なる語学の壁を乗り越え、見事中国選手として最初のワールドカップ出場など数々の成績を残した。資金が無いため飯山市での練習ではやさしく見守っていただいた中沢氏宅からジャンプ台まで2時間近く自転車で坂道を通ったこともあった。コーチがいないため、ジャンプ台のスタート合図を素人の大塚善弘さんが勤めたこともあった。大塚さんのホテルの手伝いをしながら、ジャンプ三昧の日々であったという。彼を育ては日々でもあったろう。

そんな彼が指導者となり、まったく中国では未知の世界であったスキージャンプ競技に光を投げたのだ。そんな彼を受け入れ、育て上げてくれた大塚ファミリーに朴氏も家族もそして彼の生まれ故郷通化市の皆さんが感謝の気持ちいっぱい心から敬意のまことを表わされる。

長野県では、海外からの観光誘客に力を入れている。私自身今から8年も前、韓国へ白馬商工会の山田副会長とふたりで渡航し、各方面を回ってインバウンド事業のさきがけをしたことがあるが、互いの交流は、まず「人の交流、信頼創りから始まる」との信念を持っている。

少女たちの中には家庭的に不幸な子もおられ、涙し、考えなければならないことと遭遇する日々であったが、原点である中国の朴氏と日本の大塚ファミリーの積み重ねが、中国体育関係者と通化市と日本国長野県の友好にたいへんな功績を残していただいたことに心からの拍手を送りたい。

11月1日帰国し白馬の峰峰は新雪をまといまさに雪の峰であった。

    「暖める 小さな勇気 限りなく」   星辰

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