宮澤敏文

進む集落の人口流出

昨年の11月22日午後10時.8分に長野県の北アルプス山麓地域から善光寺平を襲った長野県神城断層地震、奇跡的に死亡された方が地域の絆によっていらっしゃらなかったことが全国から注目もされた。あれから半年、春の水田への奥山から引いてきている水路の確保など長靴ばきの毎日であったが、復旧は3.11地震災害被災さけた東北3県と同じく時間がかかるものである。

復旧工事の中では、道路を直し舗装した箇所をすぐ後に切り壊して下水事業を実施することのないように県の建設関係、林務関係、農地整備関係、市町村関係など横縦の連携を何より気を遣い工事日程の調整に気を使ってもいただいている。

雪も解け農作業も一段落し、ここへ来て、今後の不安が被災された住民の皆さんに出てきた。

「とおさんと母ちゃんで子供は別に生活しこの地に帰ってくるかわからない。年寄りばかりで、家を再度この場所に建てるのがいいのだろうか。新たに家を建設する財力もないし」 年金や急傾斜地の先祖代々の畑と棚田のコメ作りで,自給自足に近い生活をしてこられた方の心配事は尽きない。

災害の時に集落が縮小し、集落の再編成が起こるという。まさにそのとおり現状である。病院は遠い、商店はない、小学校は遠くへ行ってしまった。

「ここにとどまるのは、ともに農作業や山仕事など苦労をしてきた集落の仲間がいることと祖先様のお墓を守ることそれと住み慣れた自然との共生であるからだ」と皆さん申される。

「宮澤さん80歳を超え、耳も遠くなった。家内と私二人きりあと何年生きられるか、雪のないところの県営住宅は空いていないでしょうか」そんな相談を何人もの人から受ける。

長い間小谷村の行政にかかわってこられた友人は、家の梁は落ち、家の下に30cmの段層亀裂が入った、働きすぎで膝を病まれる奥さんのことを考え、白馬の息子さんのところに住もうと決意しておられた。しかしこの頃復旧住宅が手できればそこに入居したいといわれる。住み慣れた地域を離れるのがつらいそして村を守ってきたものが先に集落を出ていくことが自分に許されないと語る。

いろいろなドラマが被災地を駆け抜けている。「無理はされなで下さい」と申し上げている。

被災地の真ん中を流れる中谷川の流れは雪解けの濁り水から穏やかな流れとなった。今から20年前、この地を襲った平成7年7月11日の長野県北部の豪雨災害当時の集落の地域力は比較にならないほど落ちている。 中谷川の流れは変わらないのがやけにつらい。

「あの笑顔 消えた谷に 川は流れる」  星辰

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