宮澤敏文

太鼓の独り言

日本の伝統文化の中で際立つ輝きを持つ和太鼓。その象徴と慕わさせていただいた故小口大八さんが、安曇野松川の若き夢追い人達に、贈られた「松川岩戸神楽大雪渓」を初めて聞いた。

天照大神が、岩戸にお隠れになられ、不安がづづいた大地と人々の暮らし。何とか今までのような輝く世にしようと人々が繰り広げる物語を太鼓で表現とした作品で、その構成力に舌を巻き改めて亡き小口先生の創る力に脱帽した。

30年を迎える信濃松川響岳太鼓は安曇野を象徴する有明山の麓の故郷を思う若き住民の中から生まれた。

太鼓を買うお金はない、練習する場所もない。苦労の連続だったろう。その苦悩の中で「蓮」「月の下で」「化心」など他を圧倒するオリジナル曲を生んだ。すごい人たちである。

とりわけ、太鼓を通じて子供たちの育成に力を入れてきた。わずか7歳の子たちが1年2年すると堂々とした打ち手に変わる。日本一番をはじめ、数々の栄光をもぎ取った子供たちは「礼」を重んじ、きびきびしてしなやかである。この小さな打ち手は、その時その時代で変わるからすごい。

第3代会長の平林重宏さんは「支えてくださったすべての皆さんのおかげ様」と30年間を振り返った。少し涙声になられていたのに、その苦難の日々が伝わってくる。

来賓として招待された長野県の太鼓の匠、古屋会長率いる御諏訪太鼓の皆さんの伝わり磨きこんだ諏訪太鼓の基本曲が披露された。  艶があり、自然への畏敬と祈りで構成され、打ち手の息が聞こえない。 木やりも入り、一体感と物語が観客を魅了する。 

流れる水のようにおごることなく調べが繰り広げられ諏訪の湖と周りの山々が目の前に現れる。 

30年を過ぎ、信濃松川響岳太鼓は新たなステージに入った。これからどんな物語を重ね創造されるのか、宗家故小口先生が松川響岳太鼓のために創作した「松川岩戸神楽大雪渓」を選曲した平林重宏さんの心を垣間見た気がした。 今後どんな新たな曲を世に送り出されるのか。楽しみは広がるばかりだ。

家路につく車窓から、信仰の山であり響岳太鼓の代名詞である有明山は、雲霞の中に隠れ、神秘で壮麗な安曇野が広がっていた。

「気を合わせ 創る調べは 限りなく 霞の向こう 山堂々と」 星辰

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