宮澤敏文

ベトナムの明日

「オリンピック陸上競技で300m走がなくなったかわかりますか。短距離走と中距離走は走り方が違うのですよ」輝くひとみに見つめられて、思わず講義の最後にこんな話が自然と出た。

ハノイ市の日本国の企業に研修就労するために、6か月ないし9か月間、日本語、日本の文化習慣を学ぶ教育センターで、将に「ぴんが落ちる音」を聞き取るような真剣さで学ぶ人達を前にして、久しぶりに吸い込まれるようなうれしいひと時を過ごした。

7月の終わり、人口減少と労働者不足に悩む日本の地方行政に係るものとして、親密感があり、より近い文化を持ったパートナーとしてベトナム国を選択し、2015年12月大学や政府そして商工団体を訪問して以来2年ぶりで、今回は日本への就労を希望し、学ぶ現場を見るための訪問であった。

最初の訪問校ハノイ市郊外の4階建ての教育センター校舎に伺ったのは夕刻であった。門を入ると長野県に今年10月から就労するという 20名ほどの学生が「こんにちはよくいらっしゃいました」とよろった挨拶で迎えてくれた。  一人ひとり握手をしてから日本で3年間の研修就労を経験した経歴を持つ校長さんらスタッフの案内で校舎を回った。

日本語はもちろんであるが 『清掃を基本として整理整頓、報告連絡相談のシステムの徹底から自分に責任を持つ大志を抱け、そしてごみの分別』まで日本での生活がスムーズにいくように6か月から9か月間 朝6時45分から22時まで、集団で学び切磋琢磨するカリキュラムが整備されている。 センターで学ぶ受講生は現在150名ほどで、一緒に日本のラジオ体操を組み込みながら、整然と学び、ピーンと引き締まった空気が学校全体に流れている。

一クラス20名から30名程度が習熟度ごとに分かれていた。4階は女子が、3階は男子が寄宿し、近くに下宿している子もいるとのことで、高校卒業者、大学や専門学校の卒業者、 中には子供を祖父母に預け、日本で家族そろって暮らすことを夢見ながら必死で黒板を見つめる若いお母さんもいた。みんな将来の夢を日本で働くことにかけている。

学校を後にしようと庭に出ると一人の先程長野県に就職するという学生から声をかけられた。 アニメのコナンとドラえもんで日本が好きになり、アニメから日本語を学んでいるという。既に決まっている日本の企業の内容が気になるらしく、質問の節々に若者の不安が顔を出す。

翌日システムエンジニアを育成する教育センターを訪問する。真新しい5階建てのビルで真剣な背中を見つめる。女子は最上階に寄宿し、男子は近くの大学寮の空き室で寄宿生活をしているという。 学びの三味鏡である。

3つ目の工場団地の中にある教育センターに伺うと日本企業の人事担当者の企業面接をしている最中であった。 ベトナム国の研修就業制度は、まず日本企業に就業依頼を受けその後この研修センターで6か月学ぶ方式で、日本国では、この7月から今までの3年が5年間に伸びた。 韓国などは10年ということで、特別な資格がなければ研修就労後帰国して再度日本で働くことは許されていない。

だいぶ垣根は低くなったが、人口減少といっても高齢者が元気でデーターにはまだ表れていないが、15歳以下の人口が著しく減少する日本はまだまだ外国労働者への対応は遅れている。生産拠点が海外に移行し、雇用創設が叫ばれた時代ではもうない。

深夜0時5分の便に間に合うようにハノイ国際空港へ駆けつけると、丸坊主で同じ格好の男子生と同じリック姿の女子生合わせて40名ほどの研修就労生と一緒になった。不安いっぱいで旅たつ若者をそれぞれの家族が目頭を押さえながらそれを見送っていた。

何か思い出しながら、 静かにこの人たちがいい日本での生活を終え無事家族の待つ故郷に帰国してほしいと目を閉じた。

 「はつらつと希望にの中に涙が光る」  星辰

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