宮澤敏文

サケの川

信州では古より、中信南地区は富山湾から上がるブリが、東北信地域は、千曲川を遡上するサケが年越しの家族団らんの食卓を盛り上げ続けている。

また現在の安曇族の起源の一つとして、大和時代朝廷のお料理番であった安曇族が、遡上の南限であった犀川をあがるサケを食材として得るために、大和地区から安曇野市にやって来て住み着いたとの逸話さえ残っている。

古より日本人にとって切っても切り離せないサケ。

「この魚の生態系を生かして栽培漁業ができないか」と工夫し続けた歴史がある。

東北や北海道でサケの人工ふ化が試みられ、稚児を遡上してきた川に放流、サケはオホーツク海、ベーリング海、アラスカ湾を回遊し約4年をかけて生まれ育った川に戻ってき産卵をしその短い命が終わる。

何ともわくわくする壮大なドラマである。

先日、本州一サケの漁獲高を誇る岩手県に伺うと「ここ数年放流した川にサケが戻る率が大幅に低下してきている」と頭を抱えていた。

東日本大地震の復興の象徴として、三陸地域では「サケ漁を再振興のシンボル」として復興を展開してきたが、漁獲量の減少、回帰率の低下は深刻である。

いったいなぜサケが゛戻ってこなくなったのだろうか?

関係者は、もう一時謙虚に自然との共生で生まれた江戸時代から続くサケ漁業のあり方全般を見直ししなければと真剣であった。

ここへ来ての日本の人口減少は深刻である。とりわけ子供がいない。晩婚、未婚等、さまざまな原因が挙げられている。

現に私が住む長野県池田町では、昨年の出生者数は39名。減少率がここ数年異常である。町にある小学校2校あるが一校1クラスで足りてしまう。問題はここに来てとりわけ減少率が著しく高く、町の将来に大きな影を投げている。

約80年後の2100年は江戸時代の人口に近づくと予想される。

人間の歴史は、滾々と湧き上がる知恵と工夫の積み重ねであった。戸を立てないで、ダイナミックに発想し実行することが大事であるが、まずは変化を正しく見つめるところから始まる気がする。

  「サケの知恵 共生の中に 光り観る」    星辰

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