宮澤敏文

アジアの夜明け東京五輪から55年

歴史に刻まれるだろう新型コロナが地球的規模で猛威を振るう2021年8月、世界のトップリーダー国の一つとして大戦から3半世紀を堂々と歩み続けてきた日本国の姿と役割を世界に発信すると同時に、国民自らに日本の在り方を問う2回目の東京オリンピックパラリンピックが派手ではないがアスリートのひた向きな限界までの挑戦と笑顔によって多くの物語とともに幕を下ろした。

 

その感動に浸る時間も与えず、過去に体験したことのない8月の長雨が日本列島に襲来し、各地で山が崩れ、川が氾濫し、犠牲者や多くの被害を生んだ。

近年このような過去にない異常気象が地球的規模で発生している。

比較的被害の少なかった当地域でも8月盆の降り続く降雨で。増水した高瀬川では200億年前の常盤岩が河床に埋もれていたが地上に顔を見せた。

 

「持続可能な社会」が叫ばれて久しい。

人が二人いれば社会が始まるといわれる。行くつくところ、「持続可能な一人一人の生活が、持続可能な社会づくりの基本である。」ことは言を待たないが、持続可能な生活とはいかなるものなのか考えてみる必要性を感じてきた。

この世紀水力発電のダムの洪水調整機能に注目する人がいる。普段は上流から下流へ落差を利用し発電するが、大量の降水が危惧されると、事前にダムの貯水水量を大幅に減らし、ダムの連携で下流への流量を調整し、洪水を避ける作業である。このような予防災害作業は、つい最近までどこの集落でも自然に行われていた。屋根から流れ落ちる「みず道」を深く掘り、地盤の弱い集落周辺の里山では溜まった落ち葉や枯れ枝を除去し大量の水が流れ下るよう整備して、生活圏の減災対策し地滑り災害を防いできた。

「山に入る人がいない。」それどころ農業をする人の平均年齢は66歳で「里の守り人である農業者がいない。」1964年の東京オリンピックから2020年東京オリンピックのわずか55年の間に日本社会の基盤は大きく変わった。

 

自然は美しく壮麗である。しかし度重なる自然の猛威を目のあたりにすると厳しく、想像を絶する力を有している。限界力の弱いところに勢いは集中する。

地盤の緩いところでは地震被害が大きくなり、河川の近くでは洪水の被害にあう可能性は高い。

古人は自然の猛威を経験するたびに、より工夫し、「づく」を出し、予防する減災の知恵を重ね、生き抜く行動をとり続けてきた。

しかしここに来て、私たちは、自然とともに生きる心を置き忘れている。これだけやっておけば、自然は許してくれる「目に見えない天の声」それを聞こうとする敬虔な心と「生かさせてもらっている」認識をしなければならないのではないだろうか。

 

幼子たちに太陽系と地球の誕生を話す。地球が時間を経て変化してきたことに子供たちは目を輝かす。常に自然は呼吸し生きている。

普段は、美しく優しく尊大で、時の流れが止まったようであるが、災害を経験するたびに自然は生きていることを思う。

日本国は多くの国との友好とたゆまない国民の誠実な汗によって戦後立ち上がりほぼ20年で東京オリンピックを開催し、その後55年世界的なパンダミックの中で2回目の東京五輪を開催した。

 

『大いなる 流れに浮かぶ 一葉でありたい』

『画像に映る 災害の叫びは 明日のわが身なり。』 星辰

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