宮澤敏文

食のこころ

 明けましておめでとうございます。昨年はとりわけ忙しく、多くの方々からご指導をいただき満足する一年でありました。心から感謝申し上げ、新たな年もよろしくお願いいたします。

 2006年の北アルプス山麓安曇野は、穏やかにあけました。除夜の鐘を聞きながら、地元の諏訪神社で、生活する地域の大切な絆である皆さんと日ごろの恩に感謝しあいながら、ご挨拶し、末の二人の子供たちと神前に合掌し、新年の決意を心静かにお祈りし、今年も始まりました。

 5:00うす雲に浮かぶ星空を眺めながら、高瀬大橋を渡り、早起きの会に伺うと雪で滑らないようにと準備された会場で、毎年ですが、役員さん、村長さん、議会の方々を始め、元気な笑顔にがありました。

 「弥生時代8万人だった人口が、稲作が始まり、59万人に倭の国の人口が増えた。江戸時代に入り、混乱からから社会が安定し、開墾が全国的に始められ、人口が急激に増えた。そして第二次大戦後、何もかも失った日本は、原点に戻り、農地の開墾、山の植林に取り組んだ。食べるものが確保されると人口が増えました。しかし昨年から国力を増してきた日本の歴史に黄色信号がともった。日本の歴史で初めて、戦争や天災なしに、人口減少が始まった。この現象は、日本社会に大きな影響を与えるだろう。」日ごろ、わたしが持論としてきた「食と子づくり」の係わり合いが早起き会上広会長先生から語られたのには驚きました。

 昨年、県議会の58名全員がかかわって「長野県食と農業農村振興の県民条例」の要綱をまとめさせていただました。そのまとめ役となった時から、全国初の『食育』の徹底を意識的に条項に入れました。

 わたしは食・食文化の中に日本があるとずっと思い続けてきました。野菜のない冬を乗り切るために、雪国の人たちは漬物を創造しました。海の民は痛みやすい魚介を陽に当て潮風にゆだねました。食い合わせの効果や旬を食べることの健康、全国各地域ごとにすばらしい知恵が食の中には生きています。

 外国料理賛美のグルメ思考や廃棄されるパーティー料理など日本人の「食への向かいかた」が変わってきていますが、日本の行事や祭りなどは、豊作を祈り、天災がないようにと祈る農耕民族特有の自然との向き合いかたであり、それがこの国を支え、全ての基本であった気がします。

 あえてこの度、長野県の地域づくり、絆づくりに『食育』を加えた精神が、花咲き実ることを願って県民条例を起案したのでありますが、県下4ブロックで会場せましと駆けつけてくださった県民の皆さん、県議会議員、農政部の県職員の思いを背負って、今年2月県議会で法律となります。

 前文の「山高く、水清く、凛とした空気の長野県は」から始まる県民条例の精神は、貧しい大地を耕し、朝早くから夜遅くまで田畑で汗してきた先人の背中を思いやりながら、大きく深呼吸して書き出したこと、ここに記すこととしました。

                                2006年 元旦

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です