宮澤敏文

健全な間

 木製ガードレールを担当していた県職員が昨年11月自らの生命を絶たれた。37歳の将来ある親思いで何事にも責任持って対応する素敵な青年であった。

 彼の昨年4月からの出勤簿をみると毎日のように午前2時ごろまで残業し、田中知事や経営戦略局長につらい指示を受けていたようである。

 県議会の総務委員会で戦略局長に、この事実を正すと、全て土木部の責任で「われ関せず」との答弁であった。答弁席の局長の後ろに座っていた若い県職員たちは、かれの背中をにらみつけていたことを思い出す。

 田中県政になり、かれ独特の言葉の言い回しで、耳に優しかったり、一部が過大かされて、いかにも正しく映ったことが多かった気がする。しかしその実態は、多くの理不尽なことの積み重ねであり、長野県経済は冷え込み、職を失い格差が広がった事実を田中知事が去った今こと直視しなければならない。

 大正時代社会風潮で「いいじゃないか、いいじゃないか」が一世を風靡した。「改革」という言葉が、もてはやされ、正しく現実を見、先を考えた政策の導入であったのか、これだけ地域や所得の格差を生み、世界2位の貧富の差、勝ち組負け組みができてしまったことは、即対策しなければならないことだと思う。社会が公平でなく、澱みがあり、よくないから改革する必要があったはずである。

 また「なにがいいのか、なにが行われているのか」県民に正しく伝えられなければならないし、「自分のやろうとしていることが全て正しく、反対するものは全てだめなのだ」という田中康夫氏を通して経験した世論つくりに、私どもチェックする立場の県議会、彼の下で命令を実行する幹部県職員も検証し、県民全体がもう一度、事実を見つめ直さなければならないと思う。

 自分の理念と同じ審議委員を選び、いかにも民主的に公平の中で、出された結論のように装い、自分の理念を押し通す、この繰り返しに一部良識と勇気あるマスコミ人は警告を鳴らしていたが、マスコミのなかには健全な常識判断を失って、田中知事の与える偏ったニュースの機会を得るために、田中知事が喜ぶニュースを与えていた残念なマスコミ人もおられた。取材ルールの原点に立ち返って、220万県民に解りやすく、健全な間をおき、汗していただきたいものである。      

         春植えた稲穂がかしがる秋の空    星辰

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