宮澤敏文

新しいグローブ

 末っ子の双子の二人が高校生活をスタートする。兄たちは二人とも毎日グランドの土と仲良くけんかしながら、高校野球と一つになっていた。そんな姿を見て育ったせいだろうか。彼らに迷いはない。

 二人は中学校時代から公式野球を始めた。兄たちは、軟式から公式に入った時の遅れで苦労した話を聞いたからだった。土日には、十数キロ離れたグランドまで自転車で往復するときもよくあった。熱心に指導される人たちも立派だが、野球をする子供たちのわきあがる思いには舌を巻く。

 兄ちゃんのお古の軟式グローブをていねいに硬式ホールで痛いのをがまんして使っていた里志君に、見かねたのだろうシニアのコーチはスポーツ会社から寄付してもらったグローブを与えてくれた。彼はそれを宝物のように磨きこんで内野手用の型を作っていた。  一方サウスポーの武君は、そんな里志君を思ってか、小学校時代の小さな古いグローブを使って、新しいグローブに油を着け磨きこんではいたが、棚に飾ったままであまり使おうとしなかった。そんな二人を目を細めてみていた。

 昭和30年代、小学校2年の春なくなった父の初めてで最期のプレゼントがグローブであった。蔵の壁にボールをぶつけては、ひとりで、ボール遊びをしていたことを思い出す。

 子供たちが幼かったころ前庭で、一輪車審判員を置き、よく三角ベースをしていた。我が家にとって父親と子供の唯一の共有する時間だった。そんな中で育った子供たちは高校野球を選んだ。仕事で自分の時間が自由にならないときも、わずかな時間を見出してグランドに駆けつけ、輝いていた息子の背中を追っていた。うれしくたのしかった。

 家内は「他の家庭は両親とも応援に行くのに」とぐちっていたが、ていねいに弁当を作り続けていた。我が家には野球が絆だったのかもしれない。「野球を楽しめ、でも野球馬鹿になるな、野球しかめに入らないものは野球も上達しないぞ」はわたしの口癖になった。

 よくこのごろキャッチボールをする。キャッチボールしていると子供たちの成長がひしひしと伝わってくる。今の私にとって最も満ち足りた時間となっている。大学にいって他のことも考えるようになった子供たちのボールはそれなり、末っ子たちのボールは上達しょうとする一途な向上心が乗っている。

小学校からのグローブは、彼らのよくパートナーであった。少し余裕ができたら、自分のあとに続く輝く瞳を持った野球少年に昔のグローブをはめて教えてもらいたいと思う。

 わたしの人生は子供と一緒に成長させていただいた。

  「こんこんと 湧き出る輝く 子らに入る」 星辰

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