宮澤敏文

百姓宣言

おてんと様と雨の恵みで、どんどん成長する野菜や植物を見ていると、言葉にならない温かい心持ちになる。

幼き日より、母や祖母から田んぼや畑に連れ出され、いやいやながらも土と親しみ、肥やしを天秤棒でかつぎ運んだこと、今思い出すと不思議と口元が緩む。

私の体の中に、百姓の血筋が受け継がれているということなのだろうか。

明治大学農学部の学生が、池田、松川大町、白馬地域へ、農家スティしながら、りんごの剪定や花のまびき、麦の収穫など体験研修制度を始めて7年目になる。現白石農政部長と相談して始めた事業であるが、一週間の研修を終えて、参加学生さんからの一言添えての終了式は、毎回心が熱くなる。

初めて農業の現場に出たマニキュアや髪を染めた現代っ子が、農家の大家族でおばあちゃんの味や畑から直接食卓に並ぶ料理とわいわいがやがや食べる家庭の温かさ。それとひとつの立派なりんごをつくるために周りの小さな花芽を摘むこと、立派なカーネーションを作るために周りの花芽を摘むこと、そんな農業の現場で働いて、りんご一つの見方が変わったことを涙をためて発表する学生たちを見つめながら、教育の原点に触れた気がした。

教育改革が叫ばれている。なにを基本に据えて論議されているのか私にはよく見えない。

ずっと目に見えないものから与えられ、納得した仕事に全ての勢力を注いできたが50歳台半ばに入り、公務に追われ、自分の時間が取れにくいが、もちろん片手まではあるにしても、時間を気にしないで楽しみながら「趣味の農業」をしたくなっている自分に苦笑する。

今までもけして農作業をしなかったわけではない、舞茸をうえたり、興味に任せて楽しんできたが、ゆっくり力まずあなたの職業はと聞かれるとき「百姓」答えられるようになりたいとこのごろ思うのである。だからといって毎朝畑に出るわけではないが、家族の体を考え、せっせと農作業する家内にまた笑われそうであるが。

昔より一ヶ月も早く植えられ薫風にゆれる水田の稲を見つめながら、中学・高校の授業を終えて帰ってから除草の為の「ごろごろ」を転ばしたころと重ね、目を細めている。

 「指で植える 田土の力 いただいて 見上げる空は 限りなく」 星辰

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