宮澤敏文

お米の明日

 昭和56年からだったろうか。下がり続ける米消費と日本酒の消費後退に歯止めをかけようと、国会議員二百数十名が参加し、米消費拡大純米酒推進議員連盟を創った。根本竜太郎先生や小沢貞孝先生が中心で、その事務局を農協中央会の方々と担当したことを思い出す。以来ライフラークとして熱心に取り組んできた。この議員連盟の成果で、古来の米100%の純米酒を定着することはできたが、残念にも米も日本酒も右下がり傾向に歯止めががかけられないままでいた。私自身その後、立場は変わり民間人になった時もαでんぷんの米粉のパンや米麺の新たな研究普及に力を注いできた。

 先日2007年の米の消費量が国民一人当たり61.4キロとなり前年対比で0.4キロ増加したといううれしい報告を聞いた。小麦やとうもろこしの価格高騰で、米を中心にすえた日本型食生活が見直されているからだとも聞く。

 政府は米の価格維持のために生産制限政策を昭和46年から実行、水田を他の作物への転作する政策を推し進めたが、奥山から水を引き多額の自己負担で保水力ある水田を確立したものを畑地にすることは、農民の耕作意欲をそぐ事となり、全国で耕作放棄された荒廃地(ちなみに長野県は17.5%にも上る)が大幅に増加していってしまった。水田にした費用は25年返済の人もおり、米をつくりたくても作れず、荒廃した水田の整備費用を現在も支払っている農家がことのほか多い。

 二十数年も前、ブラジルのタロイモからエタノールを採取して、車を動かすことにまねをして当時の他用途米でエタノールを作る研究もした。コップいっぱいの水よりガソリンの価格のほうが大幅に安かったわけで、とても実用化など考えられない結果であったが、現在90% エタノールのみで走る車が実用化され、コメにも熱い視線が送られているという。時代の流れを痛感する思いであるが、私は食べ物でエネルギーを作ることは食料の価格制度が崩壊することとなるとの疑問を今も持っている。本来セルロースでエタノールを作るべきでケナフからエタノール採集も実験していただいたこともある。

 そのような経過で米と水田の持つ限りない効果と可能性に取り組んできたものとして、食による消費が増加したことは大変な喜びである。この風を研究し、政府は真剣にこれに取り組むことが何より必要である。

 農家も生産団体任せ出なく自ら種も肥料も消費者とのルートを開拓も努力し自立しようとしている。規模の大きな生産者の周りに新しい輪ができつつある。既成の組織は見直しの必要性を求められているし、生産環境が大きく変わる気さえする。風が吹き出した。

 今年はせみの声があまり聞こえないが、里を見渡すと今年の稲穂は心もち頭べを早く垂れている。自然の被害にあわずこのまま豊作で収穫されてほしい。里山では昔と変わらず、豊作こそがみんなの笑顔のもととなる。

   「作り手の づくの重さは 変わろうと 稲穂の波で 里山輝る」  星辰

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