宮澤敏文

落ち穂拾い、夏

巨匠レイブラントの「光」との向かい合い方と自己主張に彼以後の多くの画家が少なからず影響を受けた。中世が終わり、自由な表現が試されてくるとレイブラントや多くの巨匠たちの影響を受けて自然界や人間社会で繰り広げられる「さま」をどう描いたら「自分の絵(主張)」になるのだろうか。この永遠のテーマと真剣に向かい合う画家の葛藤が多くの名作を生んできたと思っている。特にフランス絵画界にはこのテーマと向かい合った個性派の画家が名を連ね、すばらしい作品が多く残されている。

日々の生活に疲れを感じ、そんな作家の息遣いを感じたくて、美術館を歩くと画家たちの模写や写真と異なる作家の生き様や叫びに触れられ、暫し現実社会から逃避できる。

1850年ころ製作されたというフランスの農民芸術家ミレーに「落ち穂拾い、夏」がある。それまでパリで人や人間社会を描いていた彼が、最愛の人ポーリーヌの死をきっかけに、パリ郊外の農村に住んで農民の普通の生活を描き続けた中の一作である。彼の作品は農村の広がりをミレー独特の遠近法で描かれている。とかく描きたいものに光を当て背景は静かに呼吸させるのが普通であるが、この作品は後ろの背景の中に力強い男性の「動」をそして光を当てるところに優しい女性の「動」を描いている。そしてそれぞれ別な動きのなかに農作業を通じての農村のまとまりを描いている。そんな思いでこの絵と向かい合ってきた。

数十年前、ミレーが愛し住んだパリ郊外の農村に収穫時に伺ったことがある。農村は変わり機械化がされ、畑に働く人たちの中には「落ち穂拾い、夏」の光景は無かった。

幼き日に家族総出で田植えをし、家族総出で稲刈りをした。88の手間をかけて大切に育てた米は貴重で、はぜかけが終わろうとするころ、年寄りや子供もたちは大切な落ち穂を稲を刈り終わった田の中から拾うのである。一日の作業の終わりころで、ほっとする思いや収穫の喜びが忘れられない。この「落ち穂拾い、夏」に描かれる女たちの背中にそんな幼き日の思いを重ねる。

 「毎年の 変わること事なき 収穫を えがく思いに 我を重ねる」 星辰

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