桜島の噴煙のかなたに
薩摩空港を飛び立つと、桜島の大地から沸きあがる噴煙を回り込むように小型ジェット機は重そうにエンジン音を響かせながら、屋久島へ向かう。
薩摩湾から池田湖と自然と人の営みの境を見つめている。サツマイモ畑の緑ががいっぱいだ。遠くを見つめると空には雲ひとつなく海とそらの青さに吸い込まれるようだ。
一昨年、鹿児島県「知覧」へ伺った。まだ15歳から20歳前の少年たちが死を覚悟し、家族に、いままで育てていただいた感謝と「さようなら」のひと言を残し、凛として、帰りの燃料を持たされず、敵軍艦に体当たりしていった。
記念館に残された少年たちの全ての家族に当てたはがきの一字一句読ませていただいた。それぞれの最後の一文字まで乱れることのない文章に涙し、その場をしばらく立ち去れなかった。
庭に出て、晴天で、雲ひとつない南の空を見つめ、当時飛び立った若き魂の決意と祈りに思いをはせ黙祷した。
近い将来、じぶんも操縦管は握れなくとも、この空中から、使命感に燃え、飛行場を飛び立った先人たちが「何を考え」「どうこの青さを見つめ」そして「戦い、大海原の永久の眠りに着かれたか」その「間」に向かい合いたかった。
開聞岳が丸くそれでいてどっしりした姿を海面ら浮き上がらせ、それを過ぎると空の青と海の蒼が続いている。島がぽつんぽつんと眺められるが、まったく穏やかである。幼き日のたらちねといっしょにいた陽だまりのようだ。時間が止まって包み込まれるような優しさである。
なぜか少し救われた思いで静かに目を閉じた。
「穏やかな 青の重なり 意をきめて」 星辰
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