宮澤敏文

28万円のワイン

長野県の地元紙信濃毎日新聞が2年ほど前、長野県と新潟県県境の武田一族の末えいの皆さんが住まいする30戸ほどの小谷村大網集落に一年間記者が寝泊まりし、過疎集落の在り方を毎週記事にして掲載したことがあった。いい企画だと楽しみに読んだものだ。

「時代の流れや将来は経済的地勢的弱者を見つめればわかる」何とかしようと17年間にわたってこの集落を含めた長野県県境のこの地域の人(ひと)模様と正面から向き合ってきた。

過疎の集落には若い人がいない、「学校が遠い、医者が遠い、商店も遠い、働く場がない。」子供を抱えた子育て世代がやらなければならないことをこなすスピード感はここにはない。だから時間がゆっくり自分のペースで過ごせるお年寄りしか住めなくなる。

一年この地に暮らした若い独身の記者は、ともに日々を共有しあうことの安心と住む人の絆の強さを強調してペンを置いた気がする。

そんな小谷村の人口は多い時は、6000名を超えたが、この5年間で初めて長野県で一番人口の比率が減った村となった。

冬の観光が低迷し、脆弱な地盤から住民の生活を守ってきた建設業も右下がり。村長や議員の皆さんは何としても働く場を作りたいとともに工場誘致もしたが、高速交通網から外れたこの村へ進出する企業は多くはなかった。そして現在、若い人の生活力が著しく低下している。

十年ほど前になるだろうか、福祉の先進現場勉強にデンマークに伺った。そこで「高負担社会と経済の活力」をテーマに尋ねた北欧やロシアへの日本企業との橋渡し役として活躍するジェトロの所長と親しく懇談した。 すると 彼は「学生時代、毎夏は長野県小谷村で過ごした。人が温かくて親身で働きものだった。遠く外国の地に生活して、思い出す故郷は小谷村だ」ととっておきの一本28万円もしたという時代物のワインを開けて、故郷の思いを楽しんでおられた。

コツコツとづくを惜しまず夏は畑に出、棚田を耕し、冬は、藁をたたき、シカやウサギを追い、雪の夜、はたを織った。そして隣近所で寄合い、漬物を持ち寄りお茶を飲みながらゆったりとした時間を楽しんだ。

そんな中から生まれ育ちした人の絆とひとの暖かさこれにこした地域資源はない。

    「さりげなく 出された笑顔に われを見る」  星辰

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