宮澤敏文

和創り名人97歳

酒をたらふく飲み、酔っては愛染かつらのメロディーで踊り出す。そんな豪快な大正3年1月生まれの大学の先輩小田切行雄氏に最初にお会いしたのは今から17年前の4月だった。

当時80歳にもかかわらず、 とにかくお元気で県議会議員として希望をもって登庁した県庁で、体は小柄だが、職員を大声で叱り、地元の要望を実現される大御所だったが、なぜか職員に愛され、慕われ、たよりとされる姿にあこがれを持ったものである。

リンゴが赤く色づく伊那路に10月1日伺った。

数年前、庭の雪かきの作業中に転倒された。車いす生活になられてから平日は設立に自らご尽力された老健施設プラムの里で生活されておられ、この日も玄関で温かく迎えていただいた。

いつもながら茶目っ気みっぷりの笑みで、昔の時間が戻ってきた。

高校の英語教師、村収入役、村長、県議35年、副議長波乱万丈を生き抜いてこられた大先輩は、見渡す自然と一体となった穏やかさで、県政を気遣い、古き友人を肴に辛口トークは健在で、滾々と話されるそのスピードに驚きながら、その話の節からにじみ出る人への優しさに頭べが垂れた。

物事の真理と道理が凛として動かない、人に厳しいが優しく自分を含め許容範囲が広い。この大先輩が生き抜かれてきた姿勢だと常に背中を眺めてきた。

そして自分を含め「楽しく楽しく」が口癖であった。

だから小田切さんの話が出ると自然と場が和らぎ、孫ほど年の違う県職員が慕い大切にされるのだろう。

将に「和創りの名人」である。

 「凛として 見つめる里に 穂垂れる」 星辰

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