40年前の国際分業論争
神田駿河台の明治大学会館に出席者が歌う讃美歌が静かに流れ日本人口学会長を歴任された吉田忠雄氏をしのぶ会が執り行われた。
「質素であれ、家族を大切にしなさい。額に汗して働き、よい書と親しみ、自然を友としなさい」自らの信ずる道を歩み続けられた綺羅星であられた。
学生運動真っ盛りのころ、ペンキで塗られたコンクリートの校舎で初めて吉田忠雄先生とであった。「すべての経済政策の基本は人口です。一国だけ見て物事を語ってはいけない、常に私どもは世界の中で生きているのだ。第一・二次大戦をご覧ないさい。日本人の多くが命を落としたこの大戦でもすべて世界が相手だ、まず世界を知ることが何より大切である」持論であられた。
先生の影響で大学ロックアウトの時、アルバイトでためた浄財で、リックサックを背負い、共産圏ロシアから北欧、欧州を4か月かけて一人回ったことが、今の私の原点になっている。
先生の持論は、「必ず日本の食糧は海外に依存するようになる。日本人が南半球のオーストラリアやニュージーランドの大地で自国の農業生産をし、日本へ送るそんな時代が来る。アジアの諸国の所得向上や人口爆発に対し、日本の高い農業技術を提供指導することで食料を確保させる。このことがアジアのリーダーとして生き抜く将来の日本の姿である」農業と工業それぞれ仕事を分業する時代が必ずやってくるだろう」
農家に育ち、田植えや稲刈りに郷里へ帰っていた私にとって、農業は地域文化で農村の絆こそ「すべての源だ」という強いこだわりがあって、巨人吉田先生に授業中よくぶつかっていった。
中国の近代工業化政策を受けて、日本企業は安い労働力を求め、1985年以降中国各地へ生産拠点を建設した。その後も情報産業の著しい進歩で、急激に情報化・国際化が進み、現在は、もっと人件費の安いベトナムやラオスそしてインドネシアへも生産拠点が集中する時代となった。
アジア諸国は食糧基地としての役割を持つかそれ以上かは、はTPPやFTAなどの結果で、今後の焦点であるが、確実に人口が増え続けるこれらの国が世界経済に及ぼす影響は限りなく、将に「経済のもとは人口」吉田先生の予測どおりである。
92%の経済活動を海外貿易に依存する隣国韓国は、FTAをネット化し、すでに関税の障壁をほぼなくし、他国の大地で韓国人が経営生産した農畜産物は自国産と位置づけ食糧自給率の中に入れている。
国際分業論は、構成する国々の特性を理解しあいながら、同じ目線で進むのではなく、高いところから低いところに流れる経済の原則のもとに進む、その底流は、それぞれの国の生き残り策から来るのであろう。
学友と別れた駿河台下の古本街を一人歩きながら、「ほどほどの重なり合い」を思いながら」先生の十八番だった昴をうたいながら日曜日の東京の夜空を見上げた。
「凛として 学び導く 真理の道 四海を友に 笑み高らかに」 星辰
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