2004年10月 山口村の越県合併〜県議会の責任

 平成の合併が全国各地で展開されている。合併が良いか悪いかという論議ではなく、合併問題の決定プロセスについて検証してみたい。

先の9月県議会でも、長野市・豊野町・鬼無里村・戸隠村・大岡村の合併に関する条例案が県議会で決定をされたが、本来市町村の合併決定プロセスは、「それぞれの市町村で住民投票など手法はともかく住民意向を確認し、村の公式意向を議会で決定する。それを受け議会の決定に従い市町村長が、県知事に申請、県知事は速やかに県議会へ議案提出し議会が決定する」ことが法令で定められている。

市町村長はあくまでも住民の意向に従うのが民主主義のルールである。

県境をまたぐ越県合併とて基本的に同じで、県有財産、債務の引継ぎや許可換え、法令等に基づく手続きなど越県合併の場合、事務量が多く両県で十分な協議を終了し、都道府県で作成された合併申請書と知事に出されている市町村の合併申請書(山口村H.16.4.2長野県知事に提出済み)を国(担当総務省)へあげ、その後、国が判断する仕組みとなっている。
 合併に伴う財産の処理については大変なエネルギーを必要とするのである。もちろん市町村合併決定調停以降でも、細部の方針・財産問題等で意見が合わず、過去に宮田村の例を引くまでもなく、合併から脱退した事例もある。

このたびの山口村の中津川市との合併は、平成141月の村民アンケートの回答者7割超が中津川市との合併に賛成したところから始まるのである。

以来、数回に及ぶ住民意向調査が実施され、平成1642日長野県知事に合併申請書を提出。中津川市は平成1646日岐阜県知事に合併申請書を提出した。      

申請を受けた田中長野県知事、梶原岐阜県知事は、県職員に関係書類整備を命令し、両県市村の関係者で1314回の会議が開催されているのである。

事務処理が完了したので、長野県・岐阜県とも知事の合意で9月県議会に提案することになっていたのである。

岐阜県知事は、約束どおり9月県議会に越県合併議案を提出、107日岐阜県議会は合併を合意したのである。

長野県はというと、96日の9月県議会に提案内容を協議した県議会各会派代表者との会議では、田中知事は、事務処理も完了し、9月県議会に議案提出するのでよろしくと声明していたのに、その後、合併反対である田中知事個人の意見が通らないと予測し、制度にない県民意向調査(906万円)を予算計上してきたのである。

当然長野県議会は、県民意向調査の内容やアンケートの結果をどう活用するのかなど慎重審議を繰り返した。担当の総務委員会では、2年半ぶりに田中知事を呼び、2日間(6時間)にわたる審査のうち90分を山口村合併問題に当てた。

田中知事は「対象とする無作為に選んだ1万人が、正しく山口村民気持ちを理解していただく資料を添付し、合併申請書を出した背景を理解できる環境を作ってほしい」という加藤出山口村長の要望に対し聞く耳を持たない強引さで、ただ「賛成、反対、わからない」の項目のみのアンケートを提案、内容やアンケートの使い道は未定の答弁を繰り返すだけで、県議会はこのようなアンケートはかえって混乱すると否決したのです。

長野県議会は、この度の山口村が住民意向により中津川市に申し込んだ越県合併の結論をどう出すか重い責務を負っているのである。

「今後どう進めていけばよいか」担当委員会の責任者としていろいろ考えたが、現場に答えあり、『現場での調査の実施する』ことに腹を決めた。

早速9月県議会総務委員会最終日、委員に現場調査をお願いしたところ、全員の委員が「是非とも」と積極的な賛成をしていただいた。議長副議長を経験された大先輩もおられる委員各位が、全国で始めての越県合併に対する県議会の使命感と意気込みのすごさを感じさせていただき感銘した。

今後の担当委員会総務警察委員長としての方針

T、総務委員会の国への調査―国(総務省)との協議―1022

1.     田中知事が12月県議会に越県合併に関する議案の提出をしなかった時の」 県議会・国の対応

2.     県議会の決定を無視して田中知事が他の予算を流用した場合の法的対応

3.     岐阜県からの合併申請書が上がり長野県が上がらなかった場合の対応

4.     山口村の住民以降の決定が民所敵に行われたかの検証のポイント

U、山口村・中津川市への調査―115〜6

1.     住民意向調査の内容とプロセスの検証

2.     教育現場への影響・通勤通学の実態・教育現場の実態・医療福祉の現場の 実態・文化財の調査・ゴミ等生活環境全般の調査・農協商工会などを含む 経済活動への影響調査

3.     県財産・債務等の状況

4.     関連法令の改正に伴う調査

5.     その他関連事項

なお山口村の合併問題での村民の亀裂や溝を深くしないためにも合併に賛成・反対の代表者の意見を聞くべきではない、聞きたい委員は単独でするのがベターであるとした。

V、必要に応じての委員会の開催

長野県議会総務警察委員長(担当委員会)宮澤敏文

2004年7月 ただしく見つめるとき
 
 田中知事が胸を張って発表した財政改革ビジョンが行きづまっている。

 経済とは正直なもので、歴史を紐解くとその時々の社会状態で、政策は輝きもし曇りもする。微妙なさじ加減で景気対策が実行されてきた。

 原点に戻って確認すると都道府県政は、国と市町村の間にあり、国とちがい独立した意思決定機関でない中間行政であるという点で、知事の理念で行政の舵取りができるシステムに今の日本はなっていないのである。このことを理解しないリーダーを選んだ県民は大変である。田中知事の挑戦は、脱ダムや住基ネット等アドバルーンは威勢よく上げたもののそれに変わる代案や対策が見つけられず、いまだ国に対してダムをやめるという方針すら伝えていない長野県政である。長野県が全国の中で浮いている。国では長野県を自国とみなしていないというシッキングな話がさえ伝わってくる。

長野県に準備された公共予算たとえば福祉予算さえも他県へ流れている現実をどう県民に知らせたらよいのか。地道に県民へ説明するしかないとわかってはいるもののストレスはたまる一方である。

最も今の県政に矛盾を感じているのが県職員であろう。

公務員は、選挙で選ばれた公人の声を大事にすることが義務付けられ地方自治法146条では、市町村長はその行政を代表すると記されている。

知事や市町村長の意見を守りつくそうとするのが公務員である。絶対権限を持つ知事や市町村長のそばにいる職員に、あくまでも県民のサイドに立ってトップの行為が適切かどうか、指摘し通知(コール)できるシステムがグリーンホイッスル制度であるが、長野県の場合、この職員の切羽詰った唯一の警鐘を持ち込む先が、その対象者である田中知事一人のところに、情報が集まるシステムを、知事自らつくったのである。それも議会にかけることもなく、職務の通達のなかで制度化した大胆さには驚かされる。民主主義とはいったいどんな姿を言うのであろうか。

職員の自殺者が多いのも気になる。

 話を戻して、財政問題にアプローチするが、田中県政で15年度末までに県の借金が526億円増え16526億円になったことは過去にお話したが、県民税そして法人税が驚くほど減っているのである。長野県が貧乏になっている。長野県民は我慢強い県民性であるが、このことは他の都道府県の知事と話しても、長野県田中県政は、急激な改革のためその影響で県民生活が先きいかなくなるのではないかと心配していてくれる。

田中財政改革ビジョンの初年度(13年度)の税収は、84億円前年度より落ち込み、2年目の14年度はなんと426億円前年度より落ち込み、3年目の15年度は大幅に落ち込んだ14年度より43億円さらに落ち込み全国一のワースト記録をつくってしまった。

このことを県議会で指摘されると、まったくこの事実を見ようとせず、この財政プログラムは、権威ある大学教授がつくったもので間違っていることは絶対にないと言葉を荒立てて喋りまくる始末である。

 経済政策とは、作った人が学者だから正しいというレベルの話ではない。如何に現実の現象を分析し、柔軟に対応してこそ成果が上がるものであり、権威で政策を選ぶリーダーの限界を見つめざるを得ない。残念である。

 財政は生き物で、誰もができるものではない。財政素人の田中知事は、国との連携のなかで、市町村からの声を基に積み上げていく方式は「だめ」とし、自らの考えで細かい箇所付けまで決定するという個人に集中する君主制を思わせるプロセスを導入してしまった。今の地方行政関連法律では、このような知事の独走にストップをかける条項がない。このような独断的県政が明治維新の志 佐久間象山を生んだ民主主義の先進地長野県で行われている事実を見つめ続けなければならないことは、苦しい。

2004年2月 長野県議会が動いた
 
 「人がかわれば空気が変わる」一口で語られるが、時間と目には見えないエネルギーがかかるものである。

 昨年4月の県議会議員選挙で、26名の新人議員が登場し、会派制を引く長野県議会では、異例の9名から1名まで少数10会派が乱立する全国でもまれな構図となった。

 その2003年度の議会運営を任され、議会の諸問題に際し、議長判断の基準を任される議会運営委員会の責任者に任命された。

マスコミの予測どおり 最初の県議会から人事案件で知事と議会が激しく対立し、当然 議会では、知事の主張をよしとする議員とNOとする議員の対立感情は日に日にエスカレートしていった。 その中で 会派を乗り越えて同じテーブルに着くことが必要だと考え、各会派に呼びかけて、合併問題・地震対策・住基ネットの研修会の開催など、今までに例のないことも実行した。一定の一体感が出てきたと思ったが、そうなればまたエゴが顔を出すものである。

一番手を焼いたのは、議会の誰もが守らなければならないルールを理解せずに行動される議員の主張であった。時間が来ればきっと理解されるだろうと今も思っているが、議会は、合意のルールを順守するところからスタートする。

議会は選挙という多数決によって選ばれた人たちによって運営される府である。しかし不思議と数で割り切る結論の出し方ではなく、互いの理解で落としどころ(結論)が変わることのほうが多いのである。相手の存在を認め合い、主張だけでなく、おかれた状況を互いに認め合うところから始まるからである。

「古き」と「新しき」のそれぞれの主張は、激しく多くの場面でぶつかり合う構図となったが、わたしは多数決で決めることはたやすいが、意見を述べ合うことによって、多数決をとらずに結論を導き出すことを信念とし、委員会審議を推し進め、議会改革に淡々と汗を流すことに徹した。

それと、議会運営委員会が所管する議会改革検討会議の座長を合わせて拝命したところなら、議会のあり方・知事と議会との距離など今後の問題提起の一年でもあった気がする。

 いま 地方分権が確実に動きだそうとしている。そのなかで現在 総理大臣の諮問機関である行政制度調査会では、知事や市町村長の権限と対抗して議会権限を増す方向で検討が行われているが、例えば予算の増額修正は、知事の提案権を侵すという理由で不可能とされるなど、制限が多く、議会の権限は、あまりにも弱い。ほとんどの地方政府(都道府県)では知事の権限がこれほど強いのかと驚かされる事例ばかりである。

 そんな背景の中で、今2月県議会は、いままでとは異なった議会となった。倒産やリストラなどで家計が苦しいとき、高校改革半ばであるのに、授業料だけ値上げするのはおかしいと県民クラブ提案で否決し、知事提出予算案を動議によって、長野県政で始めて修正させた。

また知事より提出された土地利用の条例・景観に関する条例・森林条例の3条例は、知事の権限や主観が、あまりにも強く市町村長の権限まで侵している。対等である市町村の自主性を著しく冒しているとし、もっと県民や市町村の意見を聞くべきとして継続審査とした。

議会が一時の知事への個人的な感情をこり超えて、正しく判断している。理事者の提案を鵜呑みにするのではなく、じっくりその予算の成果まで踏み込む体質ができてきたことがうれしい。

 議会改革では、決算特別委員会を12月までに終了させ、翌年の予算に反映する決算主義を全国3番目で採用した。議員公舎も完全民間委託方式を採用して、経費を削減し、執務機能を充実させ、議員会館と変えた。県民からブーイングが起きた旧県政会のコンパニオン事件を、今後防ぐためにも政務調査費の透明化を全国に先駆けて実施もしている。

 県民から選ばれた2元代表制の重みを、いまこそ論議していかなくてはならない。小林議長が「知事・県議会・県民・県職員がそれぞれ機能する4WDの県政の実現を」、倉田副議長が「活力ある県政は県議会・県民・県職員それぞれが自立することこそ条件」と言い残して辞任されていかれたが、「長野県議会はこの一年で確実に変わってきた」と実感する。

3月26日最後の議会運営委員会で委員の協力にお礼を申し上げた。背中に大きな石がつまっている疲れを感じながら、快い充実感で、次の人に託すことができた。

2月初め以来、毎日県庁へ出勤し集めた資料やノートを見つめながら、雪の降る冬が、気づけば梅のか香る春となっていた。

       (長野県議会 議会運営委員長 県民クラブ会長 宮澤敏文

2004年3月24日 県会2月定例会
 昨年4月に初当選をされてきた議員さんも1年が経ち、それぞれの力量が発揮されてきた。堂々と論陣をはられる方々に賞賛を申し上げます。
 日本の地方自治は、知事と県議が直接県民から選ばれる2元代表制をとっている。
 知事という絶対的な権力者は県民から直接選ばれている以上、議会は、独立した存在で、知事に対し与党も野党もなく、一部絶対的な権力者でと、一定の距離をおいて存在すべきであるとつくづく思う。
 県議会のメンバーとしての義務と責任は、第一に考え、創造的な議論がおこなわれることを祈る次第である。
                     (議会運営委員会の席から)
                
2003年7月9日 県会7月定例会
 8:00に控室へ出勤。早速、議会運営委員会書記さんが、打ち合わせに飛び込んで来られた。
 本日の各議員質問や進行に目を通す。7月3日の初日に続いて、聴覚障害者の方の傍聴が15名いらっしゃっている。10時開会前に3階の傍聴席に伺い、事故のないよう、不便のないよう、チェックして、会場にはいった。
 1年生議員さんにとって、はじめての議会での質問の機会となる。今、7月県会では、木内議員、清沢議員、小松議員それぞれが熱心な質問を繰り返した。田中知事との生のやりとりが展開された。
 以下はそのやりとりの一部である。
 ・住基ネット問題は、市町村の立場を訴える議員と答えがはっきりしない知事のやりとりが、かみあわなかった。すでに1次稼動が終わり、8月25日に第2次本格稼動を前に、市長村の不満は解消されない。
 ・また、ここ10年で、農業者の収入が23%も減っている。知事は、その農業分野の中に、建設業を投入する方向を示している。はたして、関係県民が生活していけるのだろうか。
 などなど、質疑が繰り返された。
 昼食時、小林実議長、各会派代表らと1)「執務室となっている議員公舎の在り方について」の進め方2)特別委員会について、打ち合わせをした。くわえて、農県関係議員連盟の設立、三十周年をむかえる長野県日中友好議員連盟の立ち上げなどの会議をおこなった。
 午後は、1時再開。毛利議員、備前議員、高見沢議員の質問であった。本日の質問は全員が新議員である。
 3ヶ月の経験の中で、それぞれ問題点を指摘されておられた。
 終了後、議員運営委員会の清水副委員長と議員アンケートについての会議をおこなった。
 また、森田議員、佐野議員、平野議員と4人で伝統ある長野県議会野球クラブ結成についての会議をおこなった。本県野球クラブは、他県と異なり、自分達で費用を出し、維持してきた。若手議員の希望もあり、14人のメンバーが集まった。群馬県との伝統の対戦など、地方分権の時代、県レベルの交流の上でも有意義なものと考えている。

 会派で、本日質問した議員のご苦労会と、s新聞社との意見交流会を終えて、公舎に戻る。22:00の消灯であった。
■人事委員選定の基本的考え方
  地方公務員法は、人事委員会の中立性や独立性の確保が最大問題で2人以上の委員が同じ政党に属することは認めないとしている。
■監査委員の選定の基本的考え方
  平成3年の法改正により、監査は、行政監査方式が中心になり、細部監査は、公認会計士などの専門家による、外部監査制度にゆだねられ、中立性や知事部局からの独立性が基本とされている。