米韓FTA締結後の韓国経済への影響調査報告書
宮澤敏文
*2012/04/15-04/18
一週間前、合衆国の大統領など世界の要人が一堂に会し、経済問題や政治問題を話し合ったソウル市。またほんの三日前には、北朝鮮国が宇宙開発のためにロケットを打ち上げわずか1分ほどで爆発した世界が注目する朝鮮半島に、長野県議会や市議会そして連合長野役員で構成された「TPP問題を考え、米韓FTA締結後の韓国経済への影響を調査する 長野県政経調査団」(団長宮澤敏文)として4月15日から4日間訪韓しました。
早朝長野を後にし、緑いっぱいの木曽路、桜花色づく愛知中部空港から2時間ほどで、韓国金浦空港へ。沖縄や九州地方より短時間でソウル市金浦空港に着いた、その足で、出迎えてくれたマイクロバスに乗り、韓国と北朝鮮の国境に向かう。
ゆったりと流れる漢江の川岸には柵が築かれ、対岸の北朝鮮からの違法入国者の警備のために、国民の全男子に義務付けられる徴兵制度で、20代前半の2年間兵役に就くが、その徴兵されたとわかる兵士が、小銃を肩に守る川岸には、ばら銭が張られ連なり、この国の置かれている状況が突き刺さってくる。
ここ数年前から続く好景気のための建設ラッシュで、日本には見られない活力を感ずる。近い将来の統一を意識して建設されたという2時間30分ほどで平壌市に着く高速に近い道路は片側4車線で心地よい。
40分ほどで統一展望台に着く。午前中は「もやっと」していたそうだが、晴天で何ともすがすがしい。
第二次大戦が終了したのち、合衆国とソビエトの政治勢力拡大の攻防の中で、1951年朝鮮半島は二分化され、不幸にも、南は資本主義経済化に、北は社会主義経済化になり今日まで交流がストップしている。
数十年前、ベルリンの壁が壊され、ドイツは何十年ぶりに統一されたが、2次大戦後、日本国北海道を2分して、ソ連の勢力下におく動きがあったことでもわかるように、戦争は奪うか奪われるかの歴史である。
4日間、調査団に随行するきれいな日本語を話される通訳ガイドさんのご尊父も親戚一族は、皆ピョンヤン市に暮らしており、勤務の関係で単身ソウル市にいた御尊父は、混乱の中で帰れず、そのまま南に住み家族を持ったとのことであった。 旧満州や南樺太でもそうであったが、戦争は交戦中だけでなく、終焉後も悲惨である。
イムジン河と漢江が合流して、大海へと注ぐ堂々とした流れを眼下に見るこの建物は、通訳ガイドさんのような家族の寄付で立てられたと聞いた。
館内には南北両国でともに開発した経済特区で製造された製品も並んでいる。計画統制経済の北朝鮮の製品は、商品とは呼び難く、2国の経済力の違いがはっきりとわかる。
他の階では、思想教育が色濃く残る教科書や決して豊かではないと想像される北朝鮮国民の生活をも再現してある。
40年ほど前、リックを背負って伺った共産主義経済国のソビエト連邦も東ドイツも街を流れる空気の中に活気を感ずることができなかったことを思い出す。
肉眼でもイムジン河の向こう岸に漁をする人が見える。小さな船で一人、何度も何度も河に網を投げている。50ウォン(約4円)を入れて望遠鏡から除くと人の影はあまりなく飾りのない生気を失った建物が数軒見える。4階建ての家も見えるが人が家と一体となって暮らしている空気は感じられない。「貧しく、食べるものがないさま」が手に取るようである。
訪問の前々日、北朝鮮国民1900万人の一年分の費用を使って、ロケットが打ち上げられた。一分足らずで空中分解したが、「決して民主主義が絶対にいい制度だとは思わないが、今まで存在した制度の中では最もいい制度だ」と言い残したイギリスのチャーチルの言葉が浮かんだ。
ここの政治は誰のために行われるのか。
国民が飢えていることは最も大事なガードである。「援助など物をもらうのでなく、自ら生み出すこと」を考えなれければ、真の国民の笑顔は創造できない。
昼食を食べないでいたので、近くの食堂へ飛び込んだ。石焼ビビンバを注文すると野菜中心の具にキムチなど漬物が無料でセットされて出された。
いつもであるが、どこに行ってもキムチや漬物が必ずセットされている。近代化され、国際化されても、この国の食に対する向かい方は少しも変わっていない。
伝統食の食べ方が残っている。「さすがである」韓国には、忘れてはならないものがしっかりと今も生活の中に生きている。
ジェトロ職員が待つソウル市内に向かうマイクロの中で、静かに、一日も早い朝鮮半島の同一民の溶け合う家族の笑顔を想像しながら2大河の合流する様を見つめていた。
「民いやす 大河の交わり 穏やかに 境のつぼみ
固くふくらむ」 星辰
2012/4.15
昨年完成したばかりの今調査の定宿アメリカ資本のホテルに着くとジェトロの中山副所長が待っていてくれた。
彼は40歳半ばで、長野県小諸市の出身とのこと、今回のデリケートな調査視察をセットしていただいた柳澤経産省副大臣や永井秘書官といい長野県出身者の活躍はうれしい。
高校を出てから通産省に入り、合衆国海外勤務が長く、ソウルには3年目とのこと、実にシャープで単身、日中韓FTA締結に向け、日々努力し充実している姿が伝わってくる。
「韓国は10年前経済が壊滅状況になり、IMFから資金供与を受け、財閥の解体を始め、古い韓国経済にピリオドを付けた。しかし現在、財閥は、今までにない最大の力を持っている。どこが変わったかは一社独裁ではなく、適当なライバルを存在させ、競い合い、利益を分割する体制を財閥同士が創ってからところから再生した。
また輸出国の立場に立った商品作りで、簡素化と企画宣伝に力を入れ、精度より、見た目で、多くの評価と支持を受けてきたが、ここにきて高精度の製品を発信する力を蓄えてきた。FTAを使い、韓国への日本を始め、先進国の生産拠点を誘致する方針で、19か国と締結を準備している。 日本は経済連携が遅れている。TPPはともかくとしても、積極的にFTAを締結していかないと後れをとってしまう」と熱っぽく語った。
あっという間の60分が過ぎ、会食しながらの意見交換となった。
今朝は暗いうちに、長野の自宅を出た疲れもあり、マッコリと韓国料理で食育を楽しもうとホテルボーイに注文すると、韓国料理もマッコリも置いてないとのこと、しかたなく尿酸値が上がるビールとラム肉とパンで話は進むが何とも味気ない。
信州人中山副所長の奮闘ぶりに話が盛り上がる。
「外交通商部の政策局長には、来年5月を目指す中国とのFTA交渉には、日本も興味深く見つめていますので、問題点だらけですので、その点質問したら」などポイントを指摘してくれた。
ピッチも上がるが、オーダーも英語がベースで、アメリカ資本のホテルの現状に、韓国の将来の姿をダブらせ危惧していた。
そこへ2人の専門通訳が顔を出してくださった。 早速 視察調査団師玉事務局長が対応に出るが、2人は日本の私学に留学していた会社経営者で、明日からの農業食料部(日本の農林水産省)、外交通商部、全国経済人連合会(日本の経団連)の間に入り意思の伝達をいただく大切な人たちだ。
明日の緊張感を感じ、ジェトロの中山副所長に心からの御礼と日本での再会を誓い合って、建設中のビル街の闇に消える彼の背中を見送った。
「家族(いえ)離れ 注ぐ情熱 さわやかに」星辰
2012/04.15
誇りを持って世界経済の中で生き抜くために
今回の視察調査目的は、「今日本の最大な課題であるTPP交渉で最大のテーマとなっているさまざまの影響や合衆国の狙いを米韓FTA発効した韓国社会に見ること」でありました。
長い歴史を共有し、同じ仏教国、儒教国として、連携と友好の国である韓国は、人口5000万人(北朝鮮は1900万人)領土は日本の27%であり、金利が高く現在最低で3.0% (日本は20年近くゼロ金利)を維持しています。
そんな韓国社会で、私が注目するのは出生率が1.24(2011年)と大変な少子化であることです。
元首である大統領の元、行政府と司法府そして立法府(一院制)に分かれ、絶対的権力を持つ大統領の任期は5年であります。
1990年までの韓国経済の充実は、第3世界のモデルとして、世界10位圏以内の貿易実績を誇り世界が注目しました。しかし1997年アジアの通貨危機を境に経済が傾き、株価低落と為替の上昇で経済危機に陥り、国際通貨基金(IMF)に対し公式救済要請をするほど落ち込み、IMFの介入を受け、韓国経済をリードしてきた財閥が解体され、倒産が次々に起こり、街には大量の失業者であふれ、国家経済の破たんという非常事態になったのです。
経済復権のために、90%を貿易収入に頼る韓国経済を守るとして、金大中大統領時代から自由化が急速に行われ、新自由主義へ舵を切り、FTAの積極的な導入と進んでいったのです。
しかし経済界への勢力を広げようとして取った新自由主義政策で、革新勢力の支持母体だった農業者、学生、低所得者層の支持が離れた結果となった事実この調査で確認しました。
2005年北東アジアの金融ハブ化構想が出され、外貨への規制が撤廃、韓国は、FTA推進が自然の流れとなり。現在EU、EFTA、チリ、ペルー、インド、シンガポール、ASEAN、合衆国を発効させ中国やオーストラリア、ニュージーランドなどと準備の交渉に入っている。
2012年3月15日発行された米韓FTA相手国の合衆国は、世界第3位の経済力を誇り、国民が多額の貯金を持つ日本経済の自由化が最終目標だったものの、中国の「日・中・韓FTAに向けた共同研究の提案に刺激され、北東アジアの中国勢力の伸長を恐れ、拠点を強化するために米韓FTAを最優先したのが経過であります。
4月16日朝、日本大使館農林水産省出身の大沢参事官の案内で、韓国の農業政策を作成する農村経済研究院を訪ね、キム主任研究員と会談した。
キム氏は、日本国の東京大学へ留学し農業経済を習得された方で、日本を
含め、世界経済と農業のかかわり、韓国農業の問題点を明確に指摘された。
「韓国の農業対策は1993年のウルガイラウンド交渉妥結後から農産物市場の実質的解放、コメの10年間の関税化猶予、ミニアム・アクセス開始が決定され、それに対応する強い韓国農業づくりに約120兆ウォンを投入し競争力の強化を図ってきた。
2003年FTAに臨む韓国の基本方針(FTAロードマップ)が決定され、①経済的妥協性と②外交上の意義を選定基準に積極的にFTAを締結していく方針が決定され、2004年の韓チリFTA発効FTA締結から入った。
最も大きな社会的変化は、コメは守ったものの、農産物を含むすべての商品、金融・教育・医療などのサービスなどあらゆる分野で新自由主義政策が一気に波及される。「その変化に韓国国内経済が対応できるか」という指摘でした。
「国内はガタガタになるのではないか。医食同源を理想とする食育が根付いている韓国で、食の需要があってその供給体制が創られる。食文化がしっかりしている韓国でどうだろうか」という私のテーマであります。
2次大戦後日本国は、アメリカ万歳、容共路線。広島・長崎への原爆投下に対しても、国として何も言えない民族になってしまった。私が最も残念なのは、アメリカ合衆国の脱脂粉乳から始まった食糧政策で、日本人型食生活は大きく崩れ、日本型食生活が否定され、「日本人の誇り」がどこかに行ってしまったことあります。
だから今、食育の必要性を訴え、伝統食の見直し運動を推進しているのですが、
今回の唐突なTPP交渉には、この危惧が常に付きまとうのです。
キム研究員は、「最初の2004年のチリとはコメ、リンゴ、ナシが除外品目であった。2012年のアメリカとはコメ以外すべて対象で、今後他の国とFTAを締結するたび変わった事項・条件は過去の締結国にも対象とされる。最終的にオールフリーになっても2国間同志で実行することで時間が稼げる」難しそうな顔をされる。
では担当の省ではどう考えているのかと農林水産食品部(日本の農林水産省)農業政策課長へ伺った。
ソウル郊外にあり、各省庁が日本の霞が関のように一帯に集中していないことに驚きながら、さくらの咲き乱れるのどかな地で農村食品部アン課長と会う。
「韓国内での農業生産額と海外の韓国人農地生産額が55対45と研究院で聞きました。これは食糧安保の上でも大変なことではないのですか。政府として国内生産をどう考えているのですか」と切り出すとアン課長は「市場開放拡大策としてのウルガイランド後120兆ウォンの予算を投入して体質強化、基盤整備、物流改革(62兆)直接支払など所得対策(32兆)農村福祉など農村対策(18兆)山林育成(7兆)を2004~2013年までクローパル対策を包括的に実施しています。
FTAが農業に影響が出ないというとはありません。ただ2004年チリとの間のブドウを危惧しましたが、今のところ影響はそれほどありません。今後ワインの消費が、著しく伸びていることから見て、気がかりではあります。対USA については牛肉が一番危惧しています。先日もアメリカで狂牛病が出ました。韓国内の農産物値段がそれほど下がっていないのが現実です」
淡々と述べられた。
1.2%という極端に低い出生率、将来の就業人口や年老いた家族をだれが支えて、食料はどうなるのか。他国の人が心配することではないと思いながら、他の団員との質疑応答を聞いていた。
ここにきて世界の潮流はクローパル化に急速に進んでいる。
国がどのような経済体制を引くかによって、とるべき対策は変わってくる。
「得るものがあれば、失うものもある」しかしどの道を選択するかを決定するのは、国の一部のトップ政治家ではないはずだ。
まず現状と経過、影響を余すところなく国民に公開し、十分な議論を重ね、時間をかけ基準を創らなければならないと思う。
イデオロギーによって、世界の覇権を争う時代ではなくなった。
世界の多くの国が、人類の敵である「飢え」から解放され、国民の生活力が向上することを何より望む時代となった気がする。
韓国は90%以上を貿易に依存し、財閥指導であったが1990年代繁栄し国民所得が上がり国民生活の様も便利になった。一度体験した豊かさは、決して後退しない。そのために農業農村は市場開放によって失われるものとして一つの壁であった。それを韓国では犠牲とならないように、互助の精神で、利益を生む側のモノづくり産業が、農業をサポートするルールを国民合意として決め、次のクローバル化に踏み出したのである。韓国農業は決して終わらないとアン農業政策課長の話の中からそんな自信を感じながら聞いた。
「経済は生き物である」これだけやれば十分という保証はない。この重い使命を肩に刻んだ経済関係者はどう思っているのだろうか。
明日は外交通商部(日本の経済産業省)政策局長にお会いするのが楽しみとなった。
先ほど伺った農村経済研究所で、キム研究員のご案内で、職員用のランチをご馳走になった時、タラの煮つけが出されたが、キムチ漬けや伝統の味付け野菜がついていて、韓国の食卓はどこでも、野菜の取り方に工夫していると感心している私たちに「日本のタラは美味しいけど地震と原発の影響で入荷せず、ヨーロッパのものですが脂の乗りが悪い」とキムさん、笑いながら外に出ると日本と同じように農村経済研究院の庭では、職員が野球を楽しんでおられた。中庭に行くと驚くことに生き生きとした緑青い大麦が植えられおり質問すると、「国内生産が落ちていることが寂しい」と院長が、昔は芝が植わっていた中庭に、研究種である麦に植え替えた」との返事が返ってきた。
わずかばかりの庭の土地にムギを植える院長の心に思いをやりながら、ホテルへの帰路、車中から望む東大門市場の活気を見つめていた。
「国思う 広い視界に 麦緑青(あお)し」星辰
2012/4.16
早起きをして、散歩に出るとワールドカップを開催した競技場に近い新しい郊外のビジネス街であるせいか、緑多く桜が咲き、日本にいると錯覚するほどだ。
10.00約束の外交通商部(日本の経済産業省)へ伺うわずかな時間、朝鮮王朝の王宮へ伺った。よく整備され、日本で話題となったチャングムやトンイが顔だすような錯覚を覚えながら、韓国文化を垣間見させていただいた。
生活の匂いのしない王宮のいたるところに日本で放映された数々の場面を想像していた。ゆっくり時間を気にせず一日居ても飽きないだろうと後ろ髪をひかれながら外交通商部へと向かった。
外交通商部はソウル市内ら中心部に位置し、正面玄関には先週開催されたソウルサミット参加の大統領、首相が一堂に会した大きな写真が掲げられ、威厳を感じた。政策局長秘書さんの案内で伺った応接室には、FTA交渉を仕切るキム局長さんが迎えていただいた。
日本政府の柳沢経済産業副大臣のメッセージを伝え、早速意見交流に入った。
「日本ではTPP交渉に当たり、農業や医薬そして金融など、今まで積み重ねてきた日本国の財産が市場開放することによって失なわれたり、精度の国際化の中で、医療などの国民へのサービス水準が著しく落ちてしまうので、反対や慎重な意見が多く、長野県としても、国に慎重に十分な検討をすべきであるとの意見書を提出している。韓国ではFTA発効に至るまでどのような国民合意がなされたのでしょうか」と率直にお聞きした。
キム局長は「韓国は国の発展、国民所得の倍増、豊かな暮らしのためにどうすればいいのか、結論を出したまでです。日本のように1億3000万の人口を有し、世界第3位の経済力があり、貿易依存率が23%と低い国ならこんな政策を選択しなくてもいいのかもしれません。しかし、私ども韓国は貿易依存率が90%を越え、人口も5000万の消費力の小さな国です。自国の譲ってはならないことを決め、あとは貿易がしやすいようにFTAを活用するしかないのです」
「ではなぜTPPを選択しないのでしょうか」「TPPは多くの国が入りますので、それぞれの国によって異なる譲れないものがうまく交渉ができないかもしれません。私どもは2003年からFTAに絞り、各国と交渉を煮詰めてまいりました。農業分野でもコメは譲っておりません」
凛として、国の将来を見つめておられる姿勢に敬服しながら、用意された飲み物に手をやることすら忘れやり取りを続けた。
韓国では、大統領選挙で、大統領が変わると大臣から局長まで、すべて人の役職が変わると聞いていた。
大統領の決意のもと、それを確実に実行する役人の気概は、国の大きな宝である。
キム政策局長とのやり取りにそんな思いを抱きながら役所を後にし、疲れきった顔の二人の通訳さんのと外交部に隣接するビルの地下食堂で、昼食をとった。
このような役人が入るオフィス街の客の回転スピードが命である食堂でさえ、驚くことに、注文もしない手作りのキムチと野菜が無料でテーブルにサービスで並べられる。大皿いっぱいのキムチや野菜のうまさに感動しながら薄味のアサリうどんを味わう、将に元気の出る食事である。
「残さなければならないもの」また「違う価値のものを得るために、残したいが譲らなければならなくなってしまったもの」しかしその判断するのは、あくまでも国民であり、長く温めてきた「文化」であり、「誇り」が自然と「収まる間」を創るのだ。
この国の変化がどこに行きつくからわからないが、今「最善と思われる策」に時間をかけて検討する。しかも慎重にそんな奥の深い姿勢を見た思いだ。
この国の漢江の流れのような歴史を思う。
その後、全国経済人連合会(日本の経団連)に伺った。専務理事さんは「関税を5%~10%無くなると200万の車が180万から190万になる。この差は大きいですよ。日本の企業が韓国で生産するとこのメリットが受けられる。日本企業は大いに韓国に工場移転をしてほしい」「農業が衰退するのでは」との質問に「農業が滅んでは困ります。経済が農業を支えていきます」と明快であった。
最後の夜、調査団全員で、宮廷料理を食させていただきながら、韓国の伝統音楽を聴いた。何とも言えないゆっくりとした弦をはじく音に韓国らしさを感じながらマッコリに心地よく酔った。
そして今視察調査で、出合った人の「生き様」を思い浮かべていた。
やはり現地に来なければ真理はわからない。
専門の通訳さん2名をお願いしての調査であったが、北東アジアのハブとして生きようとする小さいが凛とした韓国。
ここ数年、世界が驚く経済力が生き返った陰に、10年前にはなかった北東アジアのハブ空港仁川に代表される建設整備も産業基地になるプロセスで、決して不安がないわけではないが、この4日間に満開となったソウルの桜のように、確かな歩みを積み重ねていた。
しかしこれからである。世界のネットワークがどう動くか。将に消費は生き物である。わたしは日本の技術力は、ある意味で今でも世界一だと思っている。
韓国を代表するサムソン社は、無駄な機能をできるだけ省き、わかりやすくその国の風習を用途に加える工夫で勝ち上がっていった。そして切磋琢磨する中で、現在技術力でもトップクラスに成長した。自動車の現代社は、最初性能よりデザインで商圏を大きくするうちに技術力を高めてきた。
先進国は、確かに成長期から安定期に入った。消費も頭打ちである。しかし中国・インドや発展途上国はまさにこれからである。宗教も慣習も異なるそれぞれの国へ商圏を広げるには、ただ性能がいいだけでは広がらない。
原点に戻って謙虚に相手の立場に立つ工夫しかないのだ。
「何を残し」「何を捨てるのか」国の大きな岐路に立っていることだけは事実である。国民の間でしっかりとした創造的な論議が必要となる。
陽の大前提はすべての交渉プロセスや影響関連資料など、色のつかない形で国民に示されることが何より大切だ。
「知る権利」は色のついた者であってはならない。マスコミの存在が気になる。
「TPP交渉に日本国がどう対応するか」その最大の山場に入る。
長野県民を含め、地域の隅々まで影響がある市場開放は、国の在り方を左右する一大事である。
国民各層が正しくその影響を理解し、判断しなければならない。
今回の調査視察で「FTA」と「TPP」のちがいを韓国経済に学んだわけであるが、結果は日本にとって「TPP」は「NO」である。
世界のクローバル化の動きは避けては通れない。
外交問題は、自国の状況にあった準備や整備繰り返しながら慎重かつスピーディに対応が求められるがその段階ごとにまず国民的コンセンサスが必要であると確信する。
市場がの壁が低くなっている世界背景の中で、「発展途上国への援助を含め、世界に影響力の大きい経済大国日本は、堂々と自国の自律をもとに、相手国と交渉すればいい」と思う。
「現在進められている日中韓をはじめ、あくまでも『FTA』を中心とすることが基本であろう」という調査結論である。
「複数の国々が同じテーブルに着くTPP」は、自国の実情を主張する枠がなく、しかも今回のように、すでに出来上がりつつある締結に遅れて参加することは、ほとんど日本国の状況にあう条件設定からは外れており、参加すべきでない。貿易収支が90%以上である韓国ですら、コメなど自国の実情を考え、相手国を絞ったFTAを選択している。
この度の政府の日本政府のTPP交渉は、打ち切るべきである。
合衆国の狙いは、終始日本国である以上、今後合衆国との間でFTAを結べばいいのだあろう。
帰国後の5月の初め、予定どおり、「韓中FTA交渉に入った」そして14日に日中韓のトップが並んだ。中国と韓国が先行しているが、恐れることはない。日本の技術を含め影響力は大きいのだから。
外交は堂々とあってほしいものである。
「国思う 不安は多く 残るとも ゆったり目指す 思いはひとつ」星辰
2012/4.18
長野県政経米韓FTA発効の影響調査団
団長 長野県議会 宮澤敏文
副団長 長野県議会 小松千万蔵
事務局長 連合長野副会長 師玉憲冶郎(UIゼンセン)
団員 長野県議会 諏訪光昭
団員 長野県議会 小池久長
団員 安曇野市議会 内川集雄