長野県高校教育の再生のために


「総ての子供は、どの分野かは別として天から平等の才能をもって生まれてきている」
その子供がどの可能性があるのか子供に気づかせ、
その可能性を伸ばしてやることは親や教師の責任である。

「子供たちの自ら気づいていない湧々滾々と湧き上がる“学ぶ心”をどう教育現場の中で汲み上げていくか」家庭、そして制度の中にある学校現場もその基本に、据えなければならない真理である。

制度の中に生きているものは、常に謙虚で、他の意見や考え方を受け入れる心の静かさとそれを実行する勇気を持たなければならない。

   提言1

変化する価値観を認識し、通過点としての高校3年間を子供の視点に立った制度とする

考察1 検討委員会の県民集会で出席した多くの親の意見は、「子供たちは、高校卒業後競争の世界で生活することを余儀なくされている。教育委員会では、公平がいちばんで過度の受験勉強は悪としている。しかし子供たちは、卒業後全国の者と競争する宿命を帯びている。この現実をどのように考えるのか」と手厳しい。また「よく勝ち組・負け組を作ることになるのでと聞くが、何を基準として勝ち組負け組を決めるのか。勝ち組の基準すら大きく変わってきていることを考えたことがあるのか」「エリート高校や受験校はなぜいけないのか、仮に高校3年間勉強一筋であったって大学以降、自分の能力とともに人生をエンジョイすればいいことで、高校3年間だけにスポットを当てて事を考えるのはおかしい」痛烈である。

 教育委員会は、今少子化だから制度の改革をとっているが、社会の価値観が大きく変わっているのである。いい大学を出て、大きな会社に入ってと言う考え方が一番いいといわれる時代はもう終わった。なぜならばこの種のエリートと呼ばれる人達が、老後や病床で苦しむ両親のめんどうもみることができなかったり、故郷で旧友と親しく仲間付き合いをしながら生きられないこと。会社の命令で子供の成長とは無関係に住居の移動をしなければならないこと、海外勤務など家族と別れて暮らさなければならないことなどエリートと呼ばれる諸侯の悲哀が分かって来たのである。今までの価値観では、判断できない声が大きくなって来たこと認識しなければならない。

   提言2
子供たちが高校の実態を正しく認識し、高校選択が的確にできるよう高校の説明システムを徹底することと、子供たちの生活の実態や希望に合わせた学科構成とその充実

考察2 検討委員会の県民集会で、出席した高校生の意見交流のなかで、確実に自分にあった高校を選ぼうとしている子供が多く出てきたということを実感した。

 まず子供たちが、自ら進もうとする高校の内容を的確に知ることができるシステムをあらゆる方面から整備すべきである。

 義務教育の中で、いじめにあったような人付き合いの比較的苦手な子が、通信科を選んだり、自分のやりたいスペシャリストへの道を選んだり、中学の段階では、しっかりした進路が、決定できなかった子が、とりあえず総合学科を選んだり、子供たちのさまざまなニーズを、包み込めるような対応ができるシステムや専門高校の設置とその内容の充実である。

 体育科にしても音楽科にしても、もっと世界で活躍するスペシャリストを、育てる自信と意気込みを持つべきで、競争を念頭に複数設置すべきで、それにあった内容の濃いカリキュラムを作成すべきである。

   提言3

「授業参観日」の積極的な実施など、高校の開放と外部との交流を図り、県民とともに歩む高校現場をつくる

考察3 検討委員会の県民集会で、高校教育に平成10年に県教育委員会が発表したバイブル「高校教育の改善充実について」が現場でどのように扱われているか聴いた。県議会でも幾度も取り上げられ、その答弁内容から、この方針の重要性が全高校教員に徹底できていると思っていたが、会場に出席した高校教員には、残念にもその意識はなかった。

 全員とは言わないが高校教員は、県教育委員会や各教育関係の審議会の答申をどう受け止め、現場教育に生かそうとしているのか、また県教育委員会は、検討に検討を重ね作成した今後の長野県高校教育の指針を、なぜ全教員に徹底できないのか誠に残念である。

 わたしは、長野県の高校教員は優秀だと思うし、多くの教員はこの方針を理解していると信じるが、学校制度の中で職業人として、教壇にたっている以上、学校制度・方針を理解してないなど、民間では考えられないことである。

 義務の教員とは異なり、人事異動も余りなく、地域や保護者など外部の人達と触れることのない特殊な環境の中で高校教員が存在している現状が問題ではないかと思う。

 行政のアカンタビリティー(説明責任)が問題とされ、公共事業の手法にも、住民の声を基本に据え企画するPI手法が用いられている現在、総ての対象が、県民のチェックを受ける時代となった。教育の場も例外ではない。

   提言4

意欲を持って、生徒を指導する教員の努力が、報いられるシステムの確立と、事務職の発言力のアップで高校現場の活力つくり

考察4 高校の職員が、評価されるシステムが、教科指導に重点がおかれ、生徒指導や地域との連携などの面での熱心な取り組みが、評価されないでいる。その結果、やる気のある生徒を、熱心に指導すると同僚から冷たい目で見られると、現場の教員からのメッセージが寄せられている。早急に評価制度の改革をすべきである。

 現在、高校教員の意識改革のための試みは、それなりに進められている。交流研修で「義務教育の現場に行って、義務の教員の苦労や研修を経験する中で、忘れていた生徒への思いやりを思い出した。高校教員の方が、多額の給料をもらうことの後ろめたさを感じた」と言う高校教員の素直な感想を寄せていただく度、専門高校の教員の企業研修など、あらゆる機会との触れ合いの場づくりの必要性を痛感する。

 教育は、奥が深く「これでいい」という限りがない。現場の教員の工夫と情熱の差により、生徒の学力向上や芸術・スポーツの成果に格差が生じる。教員のやる気と工夫の成果を、正しく評価され報いるような当然のシステムが、確立されなければならない。

 また学校経営は、とても難しくなっている。その中で学校事務職は、よく比較されるが、

病院経営での事務職関係者と比べ、その発言力は弱い。現在、学校長に多くの権限が、移管され、個々の学校が、自分の足で歩かなければならないとき、パートナーである事務職の発言力を増やすことは、チェックの意味でも重要である。

   提言5

保守的になることなく、新しい制度に積極的に、取り組む姿勢の徹底

考察5 中高一貫高校の設置や総合学科の県下バランスある配置、専門学科のプロフェッショナル化等、長野県教育委員会の新しい分野への取り組みが、遅いという指摘がある。

 教育委員会の出す結論が、遅くなればなるほど、新しい発想も人材も生まれてこない。

 目まぐるしい変更は、「教育」のシステムに合わないことも想像されるが、全国の動きとあまりにも遅いのが、気掛かりである。

 かといって長野県教育の具体的な制度面での方針を、しっかりと示し、全国に先駆けて、確固たる本県独自の教育システムを、確立して行こうとする積極性も感じ取れない。

 もっと前向きな検討と素早い対応が望まれる。

考察6 中高一貫教育の候補校

     制度の導入に当たり、地域の行政・教育委員会・住民の声を踏まえること。

     生徒募集は、県下だけでなく全国に門戸を広げるべきである。そして知育に偏らない自然環境をフルに生かした全人的教育を、全国に発信すべきである。

     中等教育学校(モデル校をまず一校)

県立犀峡高校

  入学者が40名を割り、120名定員を大幅に切り、存続が危ぶまれている。

  全寮制をひくため行政のバックアップがとくに必要で、行政の希望もあり、学校を取り囲む自然も美しく、カヌー競技など特色あるスポーツも育っているなど、条件がそろっている。

     併設型

系統的な教育課程の編成が可能で、学力の向上や個性の伸長が、はかれるため希望校が多数予想される。

     連携型

地域高校の活性化の切り札的制度で、積極的な導入が求められる。教育課程の弾力ある  編成により、地域の要望にあった外部講師の登用などでの魅力つくりで、柔軟な学校づくりを進め、新学科の設置やコース制の多用化など、少子化や定員不足対策を講ずる。

   県立飯山南高校

   県立中条高校


   県立蓼科高校

 県立望月高校

 県立小海高校

 県立阿南高校

 県立阿智高校

 県立蘇南高校

 県立白馬高校

中高一貫は時代の流れであるが、その実施に際しては、新しい希望の持てる改革を含め設置を進めるべきだ。

考察7 総合学科

 現在モデル校として、塩尻志学館高校で実施されているが、外部講師の積極的導入など生徒にも好評である。今後交通の便など考え、大きな四ブロックに最低一校の設置が望まれる。なお塩尻志学館は、総合学科は県下一つという想定の元に置かれたため、地理的に県の中央に設置され、中南信が特に通学時間が長いため別枠とした。

(例えば)

 北信地区 県立須坂東高校

 東信地区 県立野沢南高校

 中信地区 県立豊科高校・(県立南安曇農業高校)

 南信地区 県立飯田風越高校

 総合学科の導入校の選択に際しては、◆極端な進学校でないこと◆都市部への希望者の集中を回避するため、中核都市部を避け、やや郊外とすること◆交通の便と、他の特色ある高校との地理的バランスを考慮すること◆既成の学校のみで、検討するのでなく、例えば同地域の県立豊科高校と県立南安曇農業高校を、統合した総合学科の設置など、ダイナミックに発想すべきである。以上を念頭に置いた。

考察8 新しい発想での定時制・通信制

 松本での県民集会で、通信制と定時制に通学する生徒が、生き生きと、発言していたのにうれしくなった。原因はともかく、不登校になってしまった生徒が「自分にあったペースで、学べる学校を選択し、目的をもって学んでいる」との内容に、彼らを育んでいる松本筑摩高校の取り組みは、確実に実を結ぼうとしていると実感した。

◎提言

(1)単位制の導入は、今後も積極的に進めるべきである。 

(2)さまざまな環境の中で、学ぼうとする生徒が増えている。それに対応できるシステムの充実が大事である。定時制・通信制の配置と充実には、今までの単に働く者の高校という意識から、現場の教員を先頭に、ダイナミックな展開をすべき時期に来ている。

(3)通信制は、四ブロックに1校の設置

(4)定時制は、その性格から働く現場近くに設置されてきた。今後は、現実を継承しつつ、新たに個性派生徒も吸収できる体制の整備が待たれる。

考察9 スペシャリストをつくり、外部教師の導入などにより、職人を育成する職業教育に深みと厳しさを加味させ職業学科に魅力つくりを

 学力がいい生徒が普通科にいき、劣るものが職業高校へいく風潮を指摘する親がいる。職業高校が、設置された歴史から考えると、誠に残念であるしドイツなど欧州の教育制度から考えると驚く話である。

 それだけ現状の職業教育に生徒達を、引き付ける魅力がないという事実であろうか。職業科の教員が、実際の技術改革への挑戦や新しい種子の開発などに、成果を上げた例をとんと耳にしない。松本市での県民集会で、ワインの製造職人を、迎えての講座が、自分の将来の生き方にもっとも影響を与えたという生徒がいた。職業高校の授業に魅力を感じない生徒が多いのには驚く。

 欧州では、職人教育が盛んで、その存在が町の活性化や誇りになっている。日本にも多くの伝統技術があったが、後継者を育てられなかったり、自らの伝統文化の価値を置き忘れ、金太郎飴のような街づくりを、繰り返してしまった。

 職業高校の卒業生は嘆く、もっと社会に出て役立つ技術や新しい興味の湧く驚きに囲まれながら、授業を受けたかったと。職業高校で働く教員への宿題は限りなく多い。

◎通学区制

現在、12通学区制に分けられている。昭和49年に、今までの4学区制から変更され、また平成7年普通科においてのパーセント条項が導入されたが、原則普通科は、他通学区へは入学できず、専門学科は四通学区内の入学が、可能となっている。

これは、生活圏や生徒の通学の利便等、考えて設定されているが、学区ごとの学校数には、かなり開きがあり、最も学校が少ない十学区は2校、最も多い十一学区は9校となっている。

 この度、◆生徒の選択肢の枠を広げるべきだ◆もっと高校教育の中に、競争の精神を導入すべきだ。と言う声が高まり見直しのための検討委員会が設置された。

 この検討は、県立高校の改革や魅力化、高校入試の改善が、平行して論じられなくてはならないし、先に述べた新しいタイプの学校の計画など、長野県高校教育の将来像が、描かれて行かなければ、今回の改革の意味はない。

 また少子化の推移を新しく分析する中で、将来の高等学校の適正配置や適正規模を、早い時期に県民に提案し、ともに検討する機会としなければならない。現在の専門学科などの配置は、四ブロックで配置されているが、その適性度のチェックも忘れてはならないし、一学年4〜8クラスを適正規模として生徒割してきた従来の基本が、地域高校を維持しようとするあまり、工夫を忘れ小クラス認知となり、結果学校の活力を無くす原因となっているケースも再検討すべきである。真に生徒達に楽しく、魅力ある高校教育を、提供する大胆な見直しの機会でありたい。

提言
(1)  生徒に平等の選択肢を与えるという原則と、今より選択肢を狭めてはならないとい  う原則に従い、今の調整区の生徒と同じ条件を設定すべきである。

(2)  全国的な「生徒の選択肢拡大する方向」を良とする。また昭和49年まで22年間の長きにわたり、長野県教育の制度化の基礎として培われてきた「四ブロック」を基本に専門学科や特殊学科などが設置されてきている。

 以上のことから「四学区制」を提案する。また隣接する学区への行き来は考慮すべきである。

 その場合懸念される◆地域高校の生徒減の対策として、中高一貫教育や新しいタイプの導入など積極的に展開し、魅力づくりをはかる◆学区内ごとに機会の平等化を考え、特色ある学科をバランスよく配置するなど同時に進めること◆学校長を先頭に授業内容を工夫し、入学後の生徒の「やる気」を引き出し、学校格差の是正に取り組むことは論を持たない。

 また、高校の適正規模、適正配置を考え四通学区内の学校改革を、県民の声を聞きながら、継続的に進めることを怠ってはならない。

  提言6

県立高校が地域の要望を吸収することを怠っている場合は、市町村は市立や組合立に変更し、地域が求める人材養成の高校とするべく勇断すべきである。

考察 ここ数十年地域市町村や学校後援会などから、「地域の望む人材育成から遠くかけはなれ教員のための高校になってしまっている」と言う指摘が多いのには驚く。

 通学区制を検討する中での最大の関心事の一つは、地域高校をどう存続させるかである。平成12年2月県立池田工業高校に介護福祉系学科の設立を求める請願書が2万名を超える署名とともに県教育委員会に届けられた。また県立白馬高校に、観光・自然環境系の学科の設置を願う請願書が、住民の80%を超える署名とともに、県教育委員会に提出されているが、どちらも学科転換の動きはいまだ全くない。

 地域住民のより所である地元の高校を、地域で支え、将来の希望を地域と学校教職員が、共有することは最も重要なことで、今後、地域高校を盛り上げる最大の要因は、地域の協力と強い存続への意志である。

 「おらが町の、わたしの村の高校をどのようにつくっていくか」学校毎に毎年住民や学校関係者、同窓会PTAなどが真剣に議論するときである。その結果で、県立にこだわる事なく当時、高校を設立した先人の設立精神とご労苦を思い、新たに市立なり、組合立なり、地域の長期的発展の視野に立った学校経営形態の改革の必要性を感じたなら、県に頼る事なく市町村は、勇断すべきである。

◎教師像

知識を伝承し、それを教える者は、求める真理へ限りなく近づく探求者としての努力を忘れてはならない。

その背中を見ながら次を歩く者が育つのである。

学校制度の中での教える立場にある教師は、子供たちの持つ限りない可能性を見つめ、それに気づかせ、子供たちの尽きることのない「学ぶ心」と正面から向き合い、片寄ることなく、きびしく子供たちに接することの責任の重さを自覚しなければならないし、「一を持って教えることより、十を、百を千を万を持って教えること」の努力を怠ってはならない。

「子供たちは、それぞれ表現の仕方は異なるものの、自分なりに真剣に取り組もうとしている」この真剣さを受け入れたり、子供の個性に併せて対応を変えられる教師であって欲しい。

◎現状の制度の中の教員

 小・中学校(義務)の教員は、子供たちの目線で物事を考え、行動しようとする柔軟性があり、PTAをはじめ市町村立であることから、地域との触れ合いも多く自分たちの存在や授業の内容を、他の者にチェックされるシステムとなっている。

 高校教員は、「専門の分野なり深い知識を教えている。生徒が自ら選び、受験で高校へ来た経過から、自分の専門知識を教えればいい」と言う考え方が底辺にある。変化に対する対応は、教師のそれぞれの力量で、新しいシステムを授業に導入するケースもみられ、教師の感度によって大きな差異が生じている。しかし全体的に外部との接点はなく、他の者に評価されるなり、自分達と異なった意見を持つ人から指摘を受けることが少ない。

 「生徒の要望や声をどうかしよう」と考える教員は少なく、「自分の考え方についてこい教えてやる」といった各教科の専門家としての意識が強いため、県教育委員会の方針ですら、「否定的で逆に圧力をかけられている」という意識が感じられる。

 また高校教員の人事異動は、管理職ポストが少ないこともあるが、定期的サイクルで行われず、全国的に見ても、ほとんどの場合、高校教員の一校当たりの在職期間は長く、上限を設けるなりの人事異動のルールを含め、総合的な高校システムの改革が待たれると同時に、最も考えなければならないことは、「チェック体制」を至急に整えることである。

 行政の意志決定や公共事業の工法にも住民の声を聞きなさい(PI手法)と言う時代である。高校現場では「チェック体制」を早期に確立をさせ、常に、よりよきを求める精神を全高校関係者が認識することが重要である。

HOME

みなさまからのご意見箱

戻る