11月5日(金)

 掛川市で生涯教育を基本にすえた町づくりの勇断と工夫を視察し、ねむの木学園で宮城まり子園長の、熱く、激しく、力強い魂の調べにふれ、帰宅した。

 帰宅すると県治水・利水検討室から、39名の方々が部会の特別委員希望の内容の論文が送付されてきてあった。一枚一枚私なりにしっかりと読ませて頂いた。

全国から注目されている部会、不公平性がないように求められている。さまざまな意見がある中で、一方的にかたよらない意見を10名選ばせて頂き、番号を事務局へFAXさせていただいた。

 一定の選択基準を明確にしなくては、原稿を寄せて頂いた人に申し訳ないと思い、別添の基準に基づき選択させて頂いた。
 最終的に知事が選ぶのだから、部会長として、どの程度決定力があるのかわからない。
 
 実際、部会を開催し、進行していくのは、私であるだけに、その委員は、相手の意見を聞ける心の静けさをもたれる方々に就任して頂くことが、一番大切だと思っている。
 
 希望者をみて、驚いたことがある。これ程問題になっている岡谷市の利水・飲み水について、現況のトリクロロエチレンを処理しているとはいえ、「汚染」について検討委員会では、大きな問題となっていた。これについては、「新しい水源が必要」と市長さんから陳情も受けていた。しかし、特別委員希望者の中には、トリクロロエチレンは、現在処理してあるので問題にしていないという意見の方が数名いたが、新しい水源対策が必要という考えの募集者が一人もいないことだ。

 「これだけ岡谷市の水の問題が論じられているのに」
 こんな状況で住民参加の結論がでるのか、また、行政の説明責任はおこなわれていたのか、不思議でしかたなかった。

 今回一番私がつらかったのは、河川法とのからみで、河川改修の決定プロセスの中で市町村理事者の意見をきくとある。しかし、両市町長の欠席という新聞報道を目にしたことだ。せっかく委員長・部会長会議で市長・町長の席を用意したのに代理の職員を選んでこられたのは、その真意が計りきれなかった。

 はたして部会での論議の中で、職員に行政を代表する発想ができるのだろうか。淺川は長野市長をはじめ関係町村長が、部会の特別委員に多忙の中、自らの責任で手をあげていたのに、いったい、どういうことであろうか。
 市民や町民はいったいなにを理事者に期待しているのだろうか。思いは複雑だ。

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0月10日

 朝から降り続いた雨が、今秋初めての吐く息を白くした。

 目の前に広がる厚い雨雲のむこうにうっそうと浮き上がる峰みねに目をやりながら、思いは下諏訪のなだらかな山や沢に気持ちがとんでいる。
 家内に穂高駅まで送ってもらい、あずさに乗り込んだ。

 9月の県議会は下諏訪ダムの予定地の土地購入について、良識をもって、目的のない土地を県財産として購入すべきでないとした。そして、検討委員会の結論を急いで頂き、県民全体が理解と判断をすべきとの内容をもって、結論を出すことなく、この問題を検討委員会にゆだねた。
 その一部始終を理解する私にとっては、この部会での結論を関係住民の総ての人達にご参加頂きながら、一日も早く一定の方向性をみいださなければならない使命がある。

 下諏訪駅は、激しく、雨が降っていた。治水の現場視察は、晴天の下で視察されるより実態がよくわかり、このタイミングは、部会長としては、心の中でうれしく、天の恵みに感謝したところであった。

 砥川・東俣川の合流点から視察に入った。
 平成11年、集中豪雨で、砥川・東俣川からそれぞれ出水し、砥川は富士橋付近で160リッポウメートル/秒の激流が、諏訪湖に流れくだった。
 合流点上の砥川の昭和26年につくられた砂防ダムは満砂になり、その役割を十分すぎるくらい果たしていた。その堆積した土砂は、10cmくらいのあまり丸くない小石が多く、この上流の地盤の悪さを感ずることができた。
 それに比べ東俣川は、急流のため、河床のせんくつが進み、平成11年には水田に土砂が流れ込み、河岸を大きくけずって流れ下った。

 昨日からずっと雨が降っているにもかかわらず、水の濁りがないのは、上流域の森林がしっかりしていることと、地質がしっかりしていることだろうと思いながら、精力的に歩き廻った。

 昼食の温かい味噌汁に舌鼓をうちながら、県土木部や諏訪建設事務所が用意してくださったホカロンを、マスコミの方々とともに腰につけた。午後の東俣川の上流森林や八島湿原三峰を、かっぱを着用し、傘を片手に視察した。雲が流れ変化する2000mの高原の上流部から、この沢、この川の特色、ささやきに耳をたて、目をすえ、一期一会の思いで廻った。委員の方々もご高齢な方もおり、心の中で合掌しながら傘をさしかけた。

 ダム地点の地盤調査のため、横杭45m中まで入り、その地質を調査、このように、住民や県民はとかく知らされない事前の調査の姿をかいまみた。もっと一般住民に実態を知らせてくるべきだとの感想を強くいだいた。
 10月10日の調査の中で、新和田トンネルからの出水の水質、現在の出水量の調査を利水ワーキンググループの座長と県河川課へおねがいして初日の調査を終了した。

 10月11日

 本日は洪水・土砂流の基である砥川本流・支流の沢すじを細かく調査することをお願いしてある。
 青空が顔を出し、雨あがりの清冽な空気は、身を二重にも三重にもひきしめる。宿舎の近くにある諏訪大社秋宮に参拝にお伺いした。この部会のの結論と運営が、住民の皆さんに理解され、納得いくものでありたいと願いながら、総ての皆さんの賛否だけにかたよらない本当の住民のための結論をうけいれていただけるような心の静けさを祈りながら合掌し、視察にはいった。
 
 砥沢の上流は、沢はもろく、林務部の谷止土が、細かい沢ごとに入り、その谷止土をいっぱいにしている土砂に注意しながら「よく手が入っている」。ぜい弱な地質に対しては砂防堤で床固工・谷止工が入り、森林が見事に整備され、代々の木を大切にする諏訪人の魂を感じさせる程であった。
 ひとつの沢・谷・傾斜地を視察しながら、参加した委員も実態の把握ができ満足気であった。
 
 砥川の下流部を自らの足で歩き、委員の皆さんと、今後のスケジュールを話し合った。総ての専門委員の方々が、いたずらに結論をのばすのでなく、集中的に論議され、早めに結論を出そうとの意見であったこと、各委員のこの部会のおかれた状況をそれぞれ理解されておられるのが、嬉しく、感謝した。

 参加委員や準備頂いた各位にお礼を述べ散会となった。帰りの車窓からみつめる諏訪の山の重なりはおだやかで、「私の郷土、北安曇の沢・谷のやわらかい地質と比べて、恵まれたところだ」とひとり言が口からでた。

                    
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