日本型在宅福祉制度の提案

高齢化社会が進行し、各国とも将来に向けた大きな行政課題となっている。

30年も昔のことであるが、政治経済学科に学ぶ学生のころ「福祉国家の実現」が今後の政治の主たるテーマになると考え、一人リックを背負い、北欧諸国の先進施設を精力的に視察して歩いた。

高い税金を支払うことより、高い行政サービスを受ける国民のコンセンサスの下に施設福祉が充実されていたが、「夫婦」が家族の基本単位で成立している北欧では、育っていった子供たちを思いやりながら、若いときのまま、ほとんどの高齢者は、夫婦二人で過ごし、生活する。
夫か妻が亡くなれば、元気なうちは一人で暮らし、決して子供の家族と一緒に暮らすことなく、体が不自由になれば施設に入って暮らす。
これが基本的精神である。

いくつもの施設を訪問したが、そのほとんどは、老人ホームで一人ひっそりと暮らす。
入居者の部屋には、家族の写真が部屋中掲げられ、訪問を快く迎えてくれる人、自分の子供と間違えて頬をすりよせる人、いずれの方々とも話をすれば、きまったように話題は家族のことだけだった。なかには次々とうれしそうに、孫のことまで話してくれた後、ここ数ヵ月ほど子供たちが、顔を見に来てくれないと、目頭を押さえ、黙ってしまって、背中を向けて寝転んでしまった老人もおられ、その姿が印象的で30年も昔なのに、今でも鮮明に覚えている。

農耕民族として大家族の中で育った私にとって、北欧各国の福祉政策は、合理的にきっちりと政策が整備されているのであるが、この方式が即日本に持ち込んで、最もいい政策とは思えないで帰国したことを思い出す。

それから四半世紀様々な福祉の実態と遭遇する中で、北欧の福祉はその後どう変化しているのだろうかと、1999年に再度お伺いした。

訪問した場所が異なるので、単純に比較はできないが、基本方針は変わっておらず、ただ近年税収不足から、施設福祉オンリーだった方針を緩め、在宅を取り入れる方向になったとの説明を注意深くお聞きした。

私の福祉行政の基本は、「その人の人生の中で最も長く住み、思い出のある生活空間で、地域のいい仲間と交わりながら、静かに過ごし助け合いながら生きる姿」である。
様々な思いをまとめ、日本一の長寿県に住み、一人当たりの医療費も極端に少ない長野県から私の考える福祉の長野モデルをここに提案することとした。


◎ お茶を飲み畑仕事をしながら
 私が生活する北安曇郡は、中山間地の典型的な地域である。
 ここに暮らした多くの先人達は、与えられた山野をそこに住む隣近所で協力して、額に汗して開墾し水田を作り、助け合って生きてきた。日本の農村の典型である。
 そのため隣近所のつながりは強く、将に「遠くの親戚より近くの他人」のことわざどおりである。
 そんな生活環境でつながっているこの地域では、事あるごとの「お茶」というコミュニケーションの場がある。堅苦しいものでなく、笑顔の中にあらゆることが話され、相談され、とりわけ女性の活力の場にさえなっている。

 働く場の関係で、農村を離れた子供たちが一緒に住もうと誘っても、家族以外に知り合いのいない地区で暮らすよりも、独りでも汗をかく畑があり、今まで人生をともに生きてきた「お茶」相手と話をし、いくつもの思い出があり自分が汗して耕してきた土地から離れたくないのである。

◎ ドイツの子育てから

 訪問するたびに多くを学ばせて頂くドイツで、子育てのシステムのなかでの「役割の住みわけ」を研修してきた。
 ドイツの義務教育では学校給食制度はない。だから午前中授業を終えると子供たちは帰宅し、昼食をとり、その後サッカーなどの市が主催するクラブで夕方まで自分の好きな時間を過ごすシステムができあがっている。
 男女共同参加が定着して、女性の職場進出が盛んなドイツでは、共働きで朝から夕方まで家にだれもいない家族が多い。このような家庭では、共働きの数家族が外に職を持たない専業主婦の家庭に昼食とその後のめんどうをお願いし、決められた費用を支払い共存するシステムが定着している。このシステムに注目したい。

◎ イングランドの農家の老夫婦

 ロンドンから特急で3時間でピーターボロー駅に着く、そこからバスで30分程乗るとコォーテスという小さな村に着く、見渡す限り小麦畑が続く農村である。
 ここに住む農業を営むある老夫婦は、三人の娘さんがおられ、それぞれ遠く離れた地で家族を持ち独立して生活しているとのことであった。
 第二次囲い込み運動で取得した農地は、まさに先祖が血と汗で切り開き、守ってきた大切なものだろうと察するのだが、娘が継がない以上、隣に住みふだん仲良く助け合っている若い農業者に自分のすべての土地を譲るという。そして老後は娘たちのところへ行かず、隣の若い農業者に見守られながら、この地で静かに死をむかえるのだと話す。
 イングランドという土地に対する執着の強い長い歴史を理解する者には、時代の変化を痛感する話であった。

◎ 姨捨山にしてならない

 現在、福祉制度は在宅福祉70%と施設福祉30%で整備が行われている。
 施設福祉は、特別養護老人施設・老人保険施設・療養型病床群の三つに区分され、法で決められた介護基準に従いそれぞれの介護サービスに代金が支払われる仕組みになっている。
 一昔前までは、年老いた親を施設に預けることは恥ずかしい、申し訳ないという意識がとりわけ農村には残っていたが、介護保険制度がスタートしてからは、そういった意識も薄れてき、体が動かなくなったり、痴呆で悩む老人を抱えた家族にとって毎日の重圧から解放され、やっと普通の暮らしがもどってきたという感謝と安堵感である。
 しかしそれとは別に、一度施設に入れてしまうと、ほとんど顔も見せない家族も多くなり、儒教の影響を根強く受ける日本でも、親に対する考え方が、随分と変わってきたと話す施設関係者が多いのにも注目しなければならない。
 「施設を姨捨山にしてはならない」長野県には、年老いて働くことのできなくなった老人が自ら貧しい家計の口減らしのために、子供に背負われ、奥山へ死にに行くという姨捨山の悲しい話がある。
 家族の足手まといにはなりたくない、自分のために家族が不幸になるのなら、いっそ死を選びたいと考える老人は多い。
 どこまで行政が背負うのか、いまだに私にも結論が見いだせないが、今のままの介護保険体制も限界が見えている。
 現在、施設福祉が主流のように騒がれているが、あくまでも福祉の基本は、在宅福祉でなくてはならないというのが、私の持論である。
 それも行政から与えられ、一つのアクションごとに評価単価が決められている今の介護保険体制でなく、同じ地域に住む同じ価値観を持った人達で、支え合う農耕民族特有の在宅福祉スタイルが私の理論である。

◎ 地域の知人で支え合う在宅福祉の提案

 以上のことから、私がずっと暖めてきた日本型在宅福祉のあり方は、若いときからともに生き、苦労を共にしてきた同じ地域に住む比較的若くて元気な人が、年老いた人と必要なサービスごとに、一定のルールを決め、有料で複数の老人の世話や介護をするシステムである。
 そして今の時期世話をしていた人が、自分が介護を必要とするようになったら、次の若い人に面倒を見てもらう。くり返していくのである。
 介護する人も生活の費用を得ることができるし、遠く離れて働く子供にとっても、費用を支払うことにより一定のルールが確認され、安心して親を任せられる。まして自分も親のことも、よく理解してくれている隣近所の知り合いに世話してもらうことは、信頼感が あり安心であるし、世話されている老人は、顔見知りなので心強いわけである。
 介護保険が開始され、その関係スタッフは実によく小まめに働いてくれているが、離職率が他の職場と比べ、だいぶ高いことが気になるところである。私もある社会福祉法人の役員を引き受けているが、ハードで仕事の切れ目がなく大変な職業である。
施設福祉はともかく、今後一層の整備が待たれる在宅福祉の分野にあって可能な限り、介護される人の平穏な毎日をプレゼントできるシステムを作るべきである。
 舌ガンで国立ガンセンターに入院していた亡き母が、正月の外泊が許され、最後の正月を妹のアパートで、三人水入らずで過ごした。とてもはしゃいで元気に過ごし、また病院に帰ったときのあのつらそうな顔を、忘れることができない。
 人は、思い出がたくさんある場所で、信じあえる人達に囲まれて生き、死んで行くのが一番望むことなのではないであろうか。
 限りなく自然の中での老後を過ごし、そして死を迎えることが理想という信念が私の提言の根底である。

「番外」 ハートフルマネーの提唱
 ボランティアの温かい心に価値を与え、報いると同時に、制度化して流通できないかと三年前から取り組んできた。
 例えば、在宅の老人への食事づくりや施設の布おむつたたみなどの場合、あるいは青少年育成のためにスポーツ指導した場合など、ボランティアのケースは様々であるが、一定のポイント制度を設定し、そのポイントを蓄えると、異なったサービスを受けられるシステム、ハートフルマネーが構築できないものだろうかと提唱してきた。あったかさが溢れたサービスをやり取りする、一定の地域だけの目にみえないサービス通貨である。
 サービスの質は、経済の変化に左右されることはない。その行政の自主性そのものである。
 是非とも実行される市町村が増えることを祈ってやまない。
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