[宮澤敏文の里山ばなし] 


12月 長野県財政危機新聞広告におもう
 田中知事は600万円の新聞広告をつかって県が財政危機だと県民に訴えた。訴えられた県民は、なにを思っただろうか。

 県知事と9000名の県職員と県議会もそれなりの報酬を得て県民からまかされて生活・生命や各行政サービスをしているのだ。

 財政危機なら、県はこうするから市町村はこうして欲しい、また県民にこうしてもらえればという対策がなくてどうなるのか。

 県職員は長野県最大で最強のシンクタンク群なのである。ものごとの本質をしっかり見極め、すみやかに行動してもらわなければ県民は不幸である。

 母子家庭の中学入学準備金の10,000円や高校進学準備金の30,000円を平気でカットし、毎年5億を赤字で皆がもう廃止してはといっている松本ガン救急センターをそのまま残すという。
 なにをやめ、なにを残すかチェックシートを導入したのに、チェックシートの公開より先に結論がでているとは、まったく、開かれた県政とはなんだろうか。

 先送り箇所もそのほとんどが来年度その事業は必要ということで予算化する動きである。
 いったいなんのために先送りしたのか。
 県知事や県議会が不況だから裁量のカットをするというカット自体、これはいいことだが、県民はいつになったら明日への光がみえるのかを期待しているのではないだろうか。

 10kg、20kg減量しても象はネズミにはならずに死んでしまうのである。


12月12日 「魅力あふれる高校はなにか」
 
高校通学区制検討委員会が、中間試案をまとめ、県民に示した。
 新しい年に県民の意見を頂き、最終的に結論をだすことになっている。今回の検討は決して知事が発言したからではない。少子化のスピードがあまりにも早いので、それにたいおうしたものだと思っている。
 今回の最大のポイントは学校関係者や地域が自らの努力で、高校の特色づくりや魅力づくりをはかっているという強い意志が示され、それに県教育委員会が、しっかり前をむいて、ささえ導いて欲しいという、学校自立の精神が随所にうかがえる。
 また、親や地域が、平成14年度からスタートする週休2日制の実施も含め、単に高校3年間をどうするかということでなしに、生涯教育という長い時間で、社会の宝である人材の教育と成長を考えて欲しいという声が多かった。
 今回の試案は、今まで教育関係者の独断場であった教育論争に親や生徒や一般人が自由に発言し、生きた声が反映され、一定の方向性をだしたところに価値がある。
 
 自論であるが、一生懸命がんばる教師のひたむきな汗が認められる制度の登用など、学校現場がもっと新しい風を起こし、改革により活性化して欲しいと望まずにはおられない。
 また、地域が経営に参加する、地域評議員制度の各校への義務付けにより開かれた学校運営を訴えさせていただいた。

 「誰が学校をつくるのか」主役は生徒だという意見があったが、知的レベルが向上し、価値観が多様化している時代、はたして生徒だけが主役でいいのだろうか。生徒が希望する授業を選び、自主的に学ぶ、そんな高校を現実化させる学校側の努力が、まず、必要ではないだろうか。

 私は、今回の検討委員会のやりとりの中で、大学と同じように学校が校風や魅力をもっと表に出し、それを生徒が誇りをもって選ぶ、そんな多面的な選択ができる高校群をつくるべきだと思う。
 最も多感で個性が芽生える高校3年間「鉄は熱いうちに打て」といわれるように、厳しく、温かい指導の中に、個々の子がもつ可能性をしっかり引き出す高等教育の場が、全国にさきがけて、この長野県に構築されると確信するものである。


11月12日 砥川部会特別委員選考の説明をうける
 南に木曽川天竜川 これまた国の固めなり
 「莫煩悩」ということをよく考える。
 今回の田中知事の「脱ダム宣言」を守らなければ、といろいろ考慮する若い優秀な県職員の顔が、会うたびにこわばっていくのが気になる。
 この優秀な若い才能を、もっと地域の新たな創造のために、つかってもらいたいと思う。
 検討委員会などで結論を出すときは、一定の結論をもってかかれば、憮然となる。
 心静かに、莫煩悩の心をくめば、一日一日が楽しく生きられるはずだ。

過去の里山はなし
11月 5日 「砥川部会」特別委員希望者の論文をよむ
10月10日 あずさの車窓より下諏訪を眺める

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