[長野県治水・利水ダム等検討委員会 関連]
長野県田中知事の「脱ダム」宣言以降、県内のすべてのダム工事は再検討されています。宮澤はその一つ諏訪郡下諏訪町に建設予定だったダムの検討委員会「長野県治水・利水ダム等検討委員会砥川部会」(以下「砥川部会」)の部会長になりました。よりよい結果をもとめて活動し続けています。このサイトには検討の経緯を随時のせて意見の交換をはかりたいと思っています。長野県と県民のためになる、前向きな意見をお待ちしています。


2002年3月15日 最近の砥川部会、および部会長(宮澤)の報道について

宮澤がA案ひとつにしぼっているといわれる。
報道だけでなく、メールやファックスでも同様の意見をいただいている。

宮澤は「A案ひとつに、しぼって、それを結論としたわけではない。」理解していただきたい。
砥川部会では、A案とB案の2案がだされている。これは、部会においてみなさんに審議していただいたとおりである。

現在のB案は、基本高水(きほんたかみず)を280tする前提のもとで、出されたものである。そして、この前提における、河川改修に要されるとされる堤防は、国土交通省から法律的にできないと、きいた。そこで、『(法律的にできない)現在のB案のままでは実現性はないとわかった』のである。

私がB案をなくしたわけではないし、もちろん、A案にしぼったわけでもない。部会長として、私が、最終結論をだすものではない。私自身は、中立性・公平性をもって、みなさんに審議をしていただき、住民の方に決めていただきたいと思っている。

明日、3月16日、砥川部会が開かれる。この部会において、部会の皆さんに、より一層審議を深めていただきたいと思っている。

16日の部会を多くの方々に見守っていただきたいと思う。
2002年2月 砥川部会 山場にはいる

山場にはいってきた。
先の第7回部会で「利水の集中検証をし、一定の方向性」を、一つ一つその真実を市民に公開し、現況の実証と基本的要因を整理した。

上下水道の供給は、市町村の選任事項である。

したがって、水の需要供給計画への決定は、市町村にあり、そのための整備費は、市町村が負担することになっている。

県はあくまでも、これら市町村の決定した意志をサポートする立場にある。
当然、県の条例で設置された、この検討委員会は、市町村の意志をまず、尊重することからはじまる。

検証の結果、岡谷市の命を維持する水は、思いのほか深刻であった。
市民が不安に思って混乱することを、おそれたのかもしれないが、もっと早くこの事実を公開し、行政と市民がいっしょになって検討してくるべきだったろうと思う。

ほとんどの市民が、この地下水の状況を認識していないのには驚いた。

地下水の低下。
そして、工業立国岡谷の歩んできた輝かしい経歴の副産物である、トリクロロエチレンなどに代表される発ガン性物質による地下水汚染。

飲み水を他に求めなければならないもどかしさ。
それが、手にとるようにそのジレンマが伝わってくる。

最大の問題点は、この岡谷の地下水から発し、愁いている、自然の声を正しく聞き、その判断を、地下水を飲んでいる市民に正しく伝えてこなかった行政の責任は大きい。

また、水利権である。
確かに、多くの委員が指摘したことにより、農業を代表される慣行水利権は、減反政策のため、実際に使用しなくて無駄になっている事実は認識している。

しかし、水の争いの歴史は、多くの地でたいへんな憎しみまでひきおこし、続けられてきた。
水が欲しいと、水をのぞむエネルギーは、ここ岡谷市の武井翁が私財をなげうって築いた上せき・下せきの建設にもみられるとおりである。

県レベルで、どういったところまで、踏み込めるのだろうか。

予算は、国と市町村との負担割合が連動している。
県が基になり、国へ発信できる予算、そして、県単独でする場合の予算が、この検討委員会の結論による影響をうけることができる。
このことを、県民や住民の皆さんにどう説明したら、わかってもらえるのであろうか。

行政の区分は、人間がつくったものである。
そのしくみの中で社会が動いているのだ。
それぞれ独立した家族の財布と同じなのである。
そこが、実に難しいところである。

行政のスケール(市町村合併など)が論じられている時だけに、踏み出せない現実の中で、いきるゆえのジレンマである。

しかし、この現実も含め、住民や県民に正しく、その姿を伝え、結論さきにありきでない、かたよることのない実態を提供する義務がこの部会にあると信じ、この山場へ臨む。


2002年1月31日    砥川部会を終えて

住民参加型意思決定が、民主的に成果をあげるためには、まず、そこに参加するメンバーが住民意識を正しくとらえ、さまざまな提供される現実を心静かに判断する必要があるだろう。
メンバーそれぞれが独立した個人であると、そのメンバーの資質が問われる。
 
選出されたメンバーが、委員らと事前に連絡し合いながら、会の進行の流れを無視するような発言をくりかえしていたのでは、その結果を、息をひそめて見つめている一般住民にとって不幸なだけである。

さまざまな主張をもった人で構成された場でだされる意見は、対立するのが当然である。

意見の対立は、提出された資料をもとに、大いに、やりあえばいい。それが、どんなに激しくなっても、公開されているがゆえに、住民が判断するであろう。

しかし、自論を有利に展開したいゆえに、スピードがはやいなどと、会の進行や審議の最中に、クレームをつけるのはいただけない。

部会が終了すれば、笑顔でわかり合えるすばらしい委員各位なのに、やはり、裁判で行政(県)を相手に訴えている原告ゆえであろうか。

ダムに反対・賛成の意見をもつ人を選ぶのは当然であるが、どうゆう内容にしろ、裁判の原告を住民の代表として選ぶのはどうなのだろうか。


県の職員も一生懸命ですばらしい人たちばかりである。
しかし、これからは、アカンタビリティ(説明責任)の上から、上手に説明する方法をもっと学ぶべきであろう。

今、砥川部会は第6回目で、18人の案を、2本の柱にしぼりこんだ。

「河川改修」と「ダム+河川改修」である。

これをわかりやすく、全員から出されている質問を深めていき、ある程度しぼりこんだら、地域住民と、利水関係市民に選んでいただけるように持っていきたいと思う。

これからが、本格化する。


2001年12月23日 砥川部会 公聴会
 静かにあけていく南南東に広がる八ヶ岳のスソ野は、はっきりとした曲線を描き、遠く富士の嶺が明けてくる程うっすらと大きく浮かんでいる。
 かもの群れの声が、この寒空に響き、湖面は静かである。
 本日は、「全国ではじめて公式に、住民が自ら洪水時の安全度を決定するプロセスの公聴会を開催する。
 部会の委員の方々と、今まで思っていた経過とは別に、洪水時の危険に対する備えについて研究されてこられたと思う。
 また、流域住民の方々が、自らの生活の安全・安心をどう考え、主張されるかにかかっている。
 人は、自然の大きさ、美しさには、容易に目がいく。しかし、自然のこわさ、凄さについては、どこまで考えられるのだろうか。
 もう、雨はふらないで、と祈った、あの平成7年の7.11災害を経験した私にとって、ここ諏訪の方々の危機管理意識は、どのようなものか、きちんと聴かなければならないと思っている。
 自然体で、第3回の部会公聴会をすすめていくつもりだが、代案を今後作成していく中で、その条件となる高水流量の基本的考え方を決定しなければならない。
 問題は、他の県や他の地域と同じ高い水量を選択するか、一つの理論にもとづき、安全度を全国より低く選定するかである。
 今回、各部会委員に提案する、財政を含めた代替案提出用の部会長代案のペーパーをつくった。このペーパーを作りながら、他の案や主張を聞き合える、心静かな会議になることをひたすら祈る。

 太陽が、顔を出した。湖面にめをやると、どこかから一艘の漁船があらわれ漁をしはじめた。
 空はまっさおで、八ヶ岳の嶺には雲が一つ日たつ、うすく浮かんでいる。
 この地域の将来にわたる治水検討の一つの大きな山場。きょう12月23日の朝はすっきりと明けた。
H13・12 朝日新聞アンケートについて
H13・10・10 長野県治水・利水ダム等検討委員会 砥川部会長 就任の決意
H13・10    砥川部会特別委員の選考にあたっての要望 

宮澤が部会長をしている「砥川部会」に限らず、長野県治水・利水ダム等検討委員会の活動内容は、原則的に公開されています。また、委員会を傍聴することもできます。その地域の方々はもとより、この件について見識のあるなしにかかわらず大勢の方に、ぜひごらんになっていただきたいと思います。そして、ご意見をいただければ幸いです。詳しくは以下のURLからおねがいします。
http://www.pref.nagano.jp/doboku/tisui/shusi.htm

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