宮沢敏文の里山ばなし(8)
  2003年12月23日 太鼓の心

なんとすがすがしい太鼓の響きの重なりであろうか。

7歳から10歳の子供たち20名が気をあわせいっしょになって奏でる調べが押し寄せては引き、滾滾と生まれ安曇野松川村のかぶろ会館の中に響きわたる。

昨年はじめて撥を持ったこの子達がこんなにすばらしい重なりを作るとは、撥の動きの中に「間」のやさしささえ感じさせる。

指導する人のまっすぐな姿勢が伝わってくる。この信濃国松川響岳太鼓は地域の若者たちが自ら撥を取り演奏し、その姿を子供たちが見よう見まねで身につけ訓練し、受け継がれている。会長のりんご農家である平林さんは、「太鼓の心は、礼によって始まり、礼によって終わる。礼儀は気を合わせる訓練です。教えることはそれだけです」と飾らず話される。全国子供コンクールで優勝した技はまさにたたき手がひとつになって力強い。

「寄れや寄ってこい」と歌いだす安曇節の発祥の地である松川村は気寄りがよく、互いを思いやり、人が助け合い支えあう絆が強い地域である。

農耕民族は和を重んじみんなで生活環境を整備してきた。地区を流れる川の清掃、害虫駆除ためのあぜ道の草刈、豊作を願い家族や隣近所の平穏を願う祭りや行事、みんなで絆を深めながら自らの手で維持している。

しかし昨今、どこでもそうであるが都会から移り住む人が多くなるにしたがい、自分の価値観が絶対だと主張する人が増えたのだろうか、「地域の和・人の和を重んずる」心がとかく失われ、平気で自分の理念と異なる人を抽象し批判するケースをよく耳にする。

とても残念である。相手を思う心の豊かさがあったらいいのにと思う。ふるさとの原風景といわれる「ちひろの絵画」のようなあったかさのある安曇野が、いつまでも農耕民族の誇りである「相手を非難して自分を際立たせるのでなく、人を信じ助け合う、相手を思いやる心」をもち続けてほしいものである。

無心に太鼓をたたく子供たちの合気に教えられながら、響岳太鼓がずっとこれからも次代の子供たちに受け継がれていくことを安曇野の象徴である有明山に心静かに祈る。

                          
2003年12月6日 太鼓とほたるの独り言

ふるさとの活性化の象徴として太鼓が静かなブームだと耳にする。

安曇野を代表する安曇節の発祥の地松川村には響岳太鼓が輝いている。村の若手が一生懸命リードして全国子供コンクールで優勝を達成し、海外遠征までしながら内容の濃い活動を展開し、レベルの高さを誇っている。

白馬村の飯森地区には、子供が中心の五竜太鼓がある。ふるさと創生資金を使って大太鼓を買い求め、残りの小太鼓十数個は地域住民がすべて手作り創作し子供たちにプレゼントした。ずっと代々子供たちに受け継がれている。

太鼓を素人の手で作ろうとする意気込みがすごい。地域の人がでて山から木を切ってきて、その木をドリルとカンナで削り、皮だけ専門家に頼んだようだが、鋲打ちも村の人がすべてみんなでつくったとお聞きした時うれしくなった。

この飯森地区では、自分たちで手間をかけ、汗を流そうとする土壌が脈々と流れている。先日、この地の長老である白河翁が消防の功績で叙勲をお受けになられたが、この80歳を越えられた先輩は、夏の観光名所作りとして若手と一緒になり蛍の里作りと自宅で蛍の幼虫を1000匹も養殖している。とにかくこの飯森地域のパワーはすごい。ザゼンソウの群生地である湿地帯を、みんなで木の橋や歩道を整備し、白馬の春のあったかで祈りのある名所に仕上げられた。ほかにも自ら種子から芽を起こした桜をオリンピック道路に植えようとしたり、コンクリート護岸の景観対策として、つる状に伸びる草花を植えたり、自分のふるさとは自分たちで築くという精神で徹底されている。

みんなで相談し、いいと思ったら、なんでもまず自分たちでやろうとする行動力には舌を巻く。この姿勢は一昔前までは、どの地域にもあった気がする。ところが昨今不足ごとを何でも行政に持ち込んでしまうという風潮になってしまった気がしてならない。

地域の活性化の近道は、そこに住む人たちが知恵を絞り、汗をかくことが原点なのである。

今年から始まったこの地区への「水と土の地域活性化事業」の導入に際して、住民が幾晩も集まり遅くまで議論を積み重ね自分たちで計画案を作り事業に着手した。自分たちが住む生活環境は自分たちで作り管理していく哲学が浸透している。

来年は、蛍が飯森の里に乱舞する夜がくるだろう。その中で子供たちが元気にたたく五竜太鼓の音が白馬の峰峰にこだまするそんな夜にお伺いしてみたいものである。

                      (2003/12/6)

2003年10月26日 古着の産着とオムツは日本人の誇り

20004月から10年間の長野県環境基本計画を作成する県環境審議会の会長に就任することとなった。前年12月県議会でドイツ連邦での環境対策研修体験を参考にしながら、あまりにも時代の変化に遅れている日本の環境政策を指摘したところ、当時の吉村知事が質問に答え、異例の基本計画の見直しを発表したのを受けての審議会だっただけに私も力が入ったことを思い出す。

一年間の計画づくりでは、特に県民にわかりやすく、現場の意見を反映し、より具体的な数字で目標を示すことに努めた。

基本は地球温暖化問題・貴重な動植物の保全を含めた自然との共生・廃棄物処理問題であった。

現在、それぞれの分野で環境への取り組みは始まっているが、最も遅れているのが廃棄物の処理問題である。

この分野では、2004年から食品リサイクルが法律化され、いっそう真剣に取り組まなければならない

廃棄物は、家庭から出され行政がその処理を義務付けられている「一般廃棄物」と企業や事業所から出され自ら処理が義務付けられている「産業廃棄物」とに区分されている。「いかにゴミの減量化を図るか」が最大のテーマであるがこの点で障害になっているのが、次の利用が決まっている物が廃棄物として規定され再利用が厄介になっているという行政の壁である。

安曇野の池田町の生活改善グループの皆さんで豆腐の絞り粕(おから)でお菓子を工夫して作った。それを商品化して販売しょうとしたところ廃棄物だからといろいろ厄介なことを言われてたち切れになってしまった。また歴史ある家の建材を再利用して新築の材料にしようとしたところ廃棄物だからだめだといわれた。一昔前の日本であれば、節約や工夫と賞賛されたことがだめだといわれる。いったい日本の政治はどうなってしまったのかと怒りをぶつける人が多い。

ものがない時代どの国もそうであったろうが日本人は再利用し価値を変えて循環型社会を形成していた。子供が生まれると着古しの着物を解いて赤ちゃんの肌に優しい産着に藍染めして再利用した。雪が来ると囲炉裏端で虫が食ったり小さくなったセーターを解いて手袋を編んだりしてきた。またフランス女性は黒がよく似合うといわれるが、同じ衣服を何回も染めなおしすると黒になりフランス女性の節約の心の勲章ともいえる。

再利用の精神こそ、人の英知と愛情の産物であったはずである。

それが大量消費・大量廃棄のどこかの風が吹き荒れて、今まで大切に培われてきた精神を吹き飛ばしてしまったのだ。

原点に戻り、自然の懐の大きさと先人の教えに目を向けようではないか。

少なくても政治関係者は、この現状を放置しておくのでなく、対策を早急に構ずるべきである。                                                     



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